民主・小沢氏も年金未加入 代表選辞退、岡田氏が代表へ(asahi.com)

民主・小沢氏も年金未加入 代表選辞退、岡田氏が代表へ(asahi.com

民主党小沢一郎代表代行は17日夜、党本部で緊急に記者会見し、国民年金に国会議員が任意加入だった時期の80年4月から86年3月まで未加入だったことを明らかにし、「政治的けじめをつける必要がある」として、菅代表の後継を選ぶ18日の両院議員総会での代表選に立候補しないことを表明した。強制加入以前の未加入の「政治責任」を取った形だ。小沢氏の突然の辞退後の党内調整で、後継は岡田克也幹事長でまとまり、岡田氏は17日深夜、立候補する意向を示した。

小沢氏の立候補辞退を受け、党執行部と党内の各グループは対応を協議。立候補の届け出締め切りを午前9時から同11時半に延ばしたうえ、予定通り18日夕の党両院議員総会で新代表を選出する基本方針を確認した。

白紙に戻った代表選びについて、党内では、これ以上の混乱を避けるため、後任選びを一任されてきた岡田氏に一本化する案が再浮上。小沢氏は会見前に鳩山由紀夫前代表ら複数の党幹部に岡田氏を推す考えを伝えた。保守系や旧社会党系、菅氏周辺の各グループも17日夜の会合で、相次いで岡田代表案で一致。旧民社党系幹部は「もう岡田氏がやるしかない」と述べ、野田佳彦国会対策委員長ら若手グループも岡田氏支持を確認した。

自由党系には、岡田氏が、小沢氏が反対した年金改革関連法案をめぐる与党との3党合意の当事者で慎重な意見もあったが、岡田氏で党内は固まった。こうした情勢の中、岡田氏は17日深夜、記者団に「(出馬は)仕方がない」と語った。

小沢氏は4月28日、国会議員が国民年金に強制加入となった86年4月以降の加入状況を公表するとの党の方針に従って、86年4月から60歳になった02年5月まで完納していることを明らかにした。それを裏付ける一関社会保険事務所岩手県)の保険料納付証明書も一部報道機関に配布した。この問題では、民主党をはじめ、公明、共産、社民各党とも強制加入の86年以降の分を公表基準にしている。

しかし、小泉首相が14日夕、国会議員は任意加入だった80年4月から86年3月までの6年間と、衆院議員となる前の11カ月間の計6年11カ月未加入だったことを公表したのを受け、17日に改めて86年3月までの加入履歴を照会したところ、小泉首相と同様、80年から86年までの6年間の未加入がわかったという。

会見で小沢氏は「法的責任は全くないと思う」としながらも、「年金制度改革を国民に理解してもらわなければならない立場であり、任意期間とはいえ、未加入だったことで国民に制度に対する不信を増幅させる結果になるならば、政治家として責任を感じてけじめをつけるのが妥当と判断した」と語った。また、「小泉内閣の閣僚による未納問題に端を発した年金不信はもはや頂点に達しており、政治責任がないとは言えない」と政権側の責任問題も指摘した。

国民年金の未納・未加入問題では、強制加入の期間に谷垣財務相ら6閣僚に加え、公明党の神崎代表ら幹部が未納・未加入だったことが明らかになっている。小沢氏としては、自らの任意加入時の責任を強調することで、この問題での政府・与党との対応の差を際だたせる狙いもある。

任意の大学時代に未加入期間 民主・岡田新代表(asahi.com

民主党岡田克也代表は18日の就任記者会見で、自らの国民年金加入歴を公表した。76年4月に通産省(当時)入省と同時に国家公務員共済年金に加入。衆院選出馬のため88年7月1日に同省を退職し、共済年金を脱退したが、同2日には国民年金に加入した。以後、強制加入期間に未加入・未納はないという。ただ20歳になった73年7月から卒業の76年3月までの大学生時代、当時、学生は任意加入だったため加入していなかった。