大江健三郎「伝える言葉 - 未来への未練 - 老人はなぜ悲しげなのか」(朝日新聞2005年1月25日(火)朝刊)

大江健三郎「伝える言葉 - 未来への未練 - 老人はなぜ悲しげなのか」(朝日新聞2005年1月25日(火)朝刊)

昨年暮れ、建築家原広司の展覧会「ディスクリート・シティ」を見に行きました。原さんは、友人になった若いころから、世界の多様な集落を調査しては、数学の手法で分析し、美しい練り上げた言葉で特質を示す人でした。
かれが、この展覧会の原理になる離散型の(discret 分散した、とも)集落に出会ったのは、中南米インディオの村においてです。しばしば休耕しなければならない痩せた土地に、声を出せば届く程度に離れて(自立した)家があり、しかも(連帯する)人間らしい集落。
それからの長い間に、ファベーラ(不法占拠)の家々の町も見られる中南米で都市計画をやり、各地の大学で教えることを重ねた原さんは、いま老年になって、インディオに学んだ離散型の集落を現代社会に構想し、その単位にする住宅を考えました。
原さんから丈夫できれいな箱のような設計に、建築科の学生たちにも建てられる、細部の工法のデッサンまで受け取って、ウルグアイモンテビデオの若者たちが働く。毎日その現場からインターネットで届く写真が、展覧会のパネルに加えられます……
それらに囲まれて話すうち、原夫人から、私の家の二階の書庫の、本の重さについて注意されました。東京の直下型大地震への警告を新聞で見ていた時で、原さんの果敢な行動に励まされもして、私はずっと切実な宿題だったことをやりとげる決心をしました。
四十五年来、数年ごとに主題を定めて本を読んで、しめくくる時、大切に思う本だけ段ボール箱につめて、書庫に積み重ねてきました。傍線と書きこみだらけの、大方は外国語の本で、古書店に処分を頼むことはできません。あれらを自力で片付けよう!
年末、年始、私は働きました。資源ゴミになじまぬ感じの厚表紙は外して、大きさごとに分け階下に運びました。これだけの量のものを、都の回収作業の働き手にすべて押しつけることはできません。しかし山の仕事場の暖炉で燃やすこともすれば、家族を本の
下敷きにする悪夢は終わるでしょう。
見通しのよくなった書庫で、私は達成感をあじわっていたのですが、そのうち目がクラムほどの未練が噴き上げて来ました。なんということをしてしまったのか! しかし書庫の棚には、この読書法を教えてくださった渡辺一夫さんの全集も、お友達だった中野重治の全集もあります。後ろ向きの未練に甘えているわけにはゆきません。中野重治『五勺の酒』の一節を探して読み、自分を奮い立たせました。
《未練、未練。(中略) 「十七歳、フランスが目の前にぶらさがっている……」ぶらさがってはもうおらぬこと、そういう、返せぬ過去への未練でない。将来への、未来への未練だ。》
将来、こういうことをやりたい、と思っている。逆に、こういうことが起こってはならない、起こりそうなら、体を張ってもとどめたい、と考えている。それが、やりたいことはできず、起こってはならないことが起こりつつある。その将来が、無念でならない。未来にかけて、未練がある……
私は子供のころ、老人はたいてい悲しい顔をしている、と気になり出しました。それからは、村に映画がかかりニュース映画も付いている時、外国の街や広場で休む老人たちが出て来ると、乗り出して見ました。そうすると、男も女も悲しげなのでした!
若者になり、成人してからも、私は敬愛する学者、作家が個人的に話してくださる際、それぞれよく笑われるのであるけれども、沈黙して悲しみをたたえた顔になられることがあるのに、ドキリとしたものです。
そしていま、あれは「未来への未練」の表情だったのだ、と気が付きます。かれらは、敗戦の窮境から出発し、不戦の覚悟と民主主義に立つ再生をめざして、それをなしとげた人たちでした。しかもこの国の進み行きのなかに、全面的な逆転の契機がひそんでいることを、ひしひし感じている人たちでもありました。
渡辺一夫さんは、「人間らしくあること」の思想化といっていいユマニスムを、日本の文化に根づかせようとした温厚な大学者ですが、怒りとも悲しみともつかぬものの激発する声で、−また、始まった! と嘆かれることがありました。それは青年時から十五年戦争破局にいたるまでを見届けられた、「後戻りできない道」の方へ、政治指導者が立ち戻る気配を感じてのことです。
今年初めの新聞で見る、自民党有力議員たちの、また奥田トヨタ会長ら経団連の、ともに元気の良い憲法九条改正への提言が、そして市民社会のなかにとくに中国に対抗して高まるナショナリズムの気分が直接に、−また、始まった! を思い出させます。
元気の良い勢力は、あと五年を、企ての目安としているようです。それを「後戻りできない道」に踏み込む五年とさせないように、もう嘆くこともできない人らの「未来への未練」を、伝え続けたいと思います。