逐条点検 日本国憲法(東京新聞)

暮らしそのもの『国の基本』全103条


<第12条> どこからが『公共』

この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。また、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

十八−十九世紀の英国やフランスで、市民は大きな犠牲と引き換えに自由と権利を勝ち取った。今の憲法は、その自由と権利を大切にするよう国民に求めている。だが、自由と権利を振りかざしてばかりいると、他者の権利を侵すことがある。それを調整するのが、「公共の福祉」の考えだ。
「公共の福祉」とは、個人を超えた社会全体の幸福のことだが、その範囲については、はっきりしない。このため、自民党内では「日本人は権利意識が強くなり過ぎた」「国民が国や社会への責任を軽視している」との不満が根強い。社会保障制度が崩壊の危機に直面していることも、個人主義が行き過ぎたのが一因とする意見もある。
今年一月に日本経団連が出した憲法改正を提言する報告書でも、「責任を伴う個人主義でなく、無責任な利己主義がまん延しつつある」などと指摘している。
昨年六月の自民党憲法調査会プロジェクトチームによる論点整理は、「公共の福祉」を「公共の利益」「公益」に改め、「権利が義務を伴い、自由が責任を伴うことは自明の理であり、家族・共同体における責務を明確にする方向で、新憲法の規定ぶりを考えていくべきだ」とした。中曽根試案でも「公共の利益」という文言が使われている。
個人と公の利益が対立した時、どのような原則に立つのかをはっきりさせておく必要があるというのが、彼らの考えだ。しかし、旧憲法が国民の権利と自由を「法律ノ範囲内」で認めた結果、国家による過度の干渉を招いた反省から、慎重論も根強くある。