大江健三郎「伝える言葉 - 死者の声を聞こう - 昔の手紙 今もなお切実」(朝日新聞2006年3月14日(火)朝刊)

大江健三郎「伝える言葉 - 死者の声を聞こう - 昔の手紙 今もなお切実」(朝日新聞2006年3月14日(火)朝刊)

私のいまの年齢の渡辺一夫さんからいただいた手紙があります。先生の生前に出た本としては最後の、『世間噺・戦国の公妃−ジャンヌ・ダルプレの生涯』(筑摩書房)に自分で描かれた挿画の試し刷りに書かれているので、日付はありませんが、いつのものかわかります。
言葉は穏やかですが、私の気軽にいったことに腹を立てていられるのが明瞭で、自戒のために机の前に置いてきたのですが、自分が先生の年齢に追いついていることに気付きました。
《「形見わけ」の件、大兄のおっしゃるような退嬰(たいえい)的な気持からではありません。むしろ前進的・積極的な心からです。古希の老人ともなれば、やはり確実に迫ってくる死と親しむようになります。いずれ崩れ去る自分を死のなかに少しずつ推しやる気持は、お若い方々にはお判りにならぬのは当然です。そして、身辺の品物を敬愛する方々に使っていただくことを希うのも当然でしょう。決して退嬰的ではありません。大兄にも何かを……と思っています。お考えおき下さい。(中略)
今日は、池の鯉の体を食い荒らす「イカリムシ」を退治しました。「手術」を受けた可憐(かれん)な鯉たちは、目下薬の水のなかで何かを考えています。彼らも老生のように迫ってくる死を想っているのでしょうか? 早く「みみず」が食べたいと思っているのでしょうか? それとも取り残された「イカリムシ」の幼虫が、鱗の間で吸盤をじくじくと肉に推しつけているのを感じて、若干快いと思っているのでしょうか? 御自愛専一に願います。》
後半の、渡辺さんらしいグロテスクなものへの生き生きした目配りの懐かしさ! 老年と死への思いについても、すでにこの年齢の私には理解できますし、許されるなら、共感するとさえいいたい気持があります。
しかし三十年前にまして、私に先生の腹立ちへの思いが切実なのは、自分は前進的・積極的だ、といわれる先生がまさに本気だ、と感じるからです。
先生の表現スタイルは正面から確信を押し立てるものではなく、反語や屈折した言い廻しをよくされました。それは、戦前・戦中はもとより、戦後も、御自身が多数派の大きい流れからはハズレている、という認識があってのことだったでしょう。先生の痛苦のこもった声音を思い出しますが、−また始まった! という嘆きを呼び起されずにはいない、敗戦経験に逆行する社会思潮のなかでのことでした。
ところが、先生がフランス・ルネサンスに生きた人々の研究から、また御自身の生涯の経験から、骨身にしみているものとして、それこそ「伝える言葉」にされようとしたユマニスムの思想については、斜めからという態度を決してとらず、強い意思をまっすぐ表わす文章を書かれました。
日本人がいかに寛容の精神ということに未熟であるか。なによりも人間らしいということを根本におく、という態度から、いかにしばしば逸脱するか。そして機械にでもなったように、いかに人々が、はやりの社会思潮にガラガラ動かされるか……
そしてそのような傾向に異議を申したて、自らが窮境に追いこまれることがあっても、少数派ながら(あるいはひとりの〈個〉*1として)粘り強くあきらめない。それが戦前にラブレーの全訳を志されてから、戦火をくぐりぬけて、「後期の仕事」にいたられても、先生の一貫した心がまえだった。そのことを私はあらためて考えました。
それでいて、しかも、この文学者・思想家には、根本のところで、ある暗いものがひそんでいたのではないか、という疑いが私にはあるのです。
私は渡辺さんが少年の年齢から愛読された永井荷風の訳詩・エッセイ集『珊瑚集』を、形見としていただいています。そこに旧制の中学生が使いそうなノートの切れはしが挟んであるのは、ボードレールの暗い暗い詩、「死のよろこび」のページです。
戦後四年目の一月、渡辺二大と中野重治は、往復書簡をかわしました。(−また始まった! と渡辺さんが最初の嘆声を発せられたのが、この年あたりだったかも知れません。)まず渡辺さんのエッセイに感銘を示しつつ、中野さんがこう書かれるのは、真面目
な懸念に発してのことだったはず。
《とかくペシミスティックなところへ引かれるのは、これは年齢、あるいはわたしたちの年齢のものの経験のせいでしょうか。しかしくどくもいえば、もっとも浅はかなオプティミストたちが戦争をしかけたがっている以上、わたしたちペシミストは断乎として進まねばならぬと思います。》
作家中野重治もフランス文学者渡辺一夫も、生涯をつうじて引きさがることはしませんでした。しかしいま、かれらが対抗しようとした勢いは、政治、経済、国際関係そして文化を(つまりは教育も)おおっています。なお中野さん渡辺さんが生きていられたなら、どういう言葉を発せられるか? 私がこのコラムで書いた多くは、その声に耳をすませてのことでした。


*1:原文では傍点