大江健三郎「伝える言葉 - 子供の記憶は正しい - 自由は「理性的な自己決定」」(朝日新聞2005年3月22日(火)朝刊)

大江健三郎「伝える言葉 - 子供の記憶は正しい - 自由は「理性的な自己決定」」(朝日新聞2005年3月22日(火)朝刊)

私が10歳の時、戦争が終わりました。12歳の時、憲法が施行されました。そのころのことを書くたび、本当に覚えているのかと疑いを示されることは、以前にもあったものです。いまは私より年長の人でなく、若い人たちから、根拠のない否定の態度を示されることが多くなりました。
私がドイツの作家ギュンター・グラスに早くから親近感をいだいたのは、かれもまた敗戦前後を切実に忘れられない人だからです。記憶していることを私が最初の長編に書いた『芽むしり仔撃ち』を、グラスは評価してくれました。敗走するドイツ軍から脱走したとして処刑された、少年兵の名誉回復をもとめるかれの声明に、私は署名しました。


ベルリン自由大学と出版社フイッシャーが、戦後の日本社会についての講師として私を招いてくれたのは、やはりよく記憶していようとする人たちがそこで働いているからです。
私は日本の戦後思想について(それにつながる戦前の思想と文化伝統についても)素人です。そこで前の週の講義の終わりに、英・独・仏語に訳されている、日本人の専門家の本を示して、読んでおいてもらいました。
授業の後、夕暮れの早い秋から冬の研究室に、質問に来る学生たちを迎えました。かれらに分かりにくい訳書の部分を、日本語の本に照らして説明するのが私の仕事。ミラノからの女子学生が、『現代政治の思想と行動』のイタリア語訳を示して、丸山真男も序文の加藤周一も偉大な知識人だけれど、ユーモア(それもウィット)のある人たちだ、といいました。いま「九条の会」の講演の間に加藤さんと話す時間があると、あの子はカンが良かった、と思い出します。
さて私が戦後すぐ、先生や近くの大人たちによく言われた言葉として覚えているのは、「自由を履きちがえるな」。平和主義、民主主義、基本的人権については、直前まで別の考えだったかれらも、正面から否定することはしませんでした。ところが、人間の解放をいう時、いつも「自由を履きちがえるな」と付け加えるのです。
そこで私はひそかにですが、自分は自由に生きよう、と考えました。地方の、貧しい時代の、豊かでない家庭の子供には、自由といってもわずかなものです。ただ、自由に本を読んでやろうと決めたのです。しかも<自分は履きちがえない>*1、と信じていました。


丸山真男を読んだのは大学に進んでからでした。自由について私が脅かされる思いもしながら決心したこと、ひとりで信じていたことが正しいと、あの当時いってくれてた人がいるんだ、と思いました。『日本における自由意識の形成と特質』という文章です。
新しい憲法によって個人が解放されたいま、その自由をいかに質の高いものにするか? 丸山さんは、「拘束の欠如」としての自由をもっばら楽しむのじゃなく、「理性的な自己決定の能力」を働かせることこそ、人間らしい自由だ、と書いていました。それが新しい規範を創造し、それによって民主主義は達成される……
いま自由=市場経済規制緩和は時の勢いです。昨年7月、日本経団連は「武器輸出三原則」と「宇宙平和利用原則」の見直しをもとめる提言をしました。防衛予算の削減に危機感をいだいて、ということです。今年になって、それは憲法九条の改定をもとめる提言に重ねられ、政府に示されています。
戦後の日本政府が「理性的な自己決定の能力」を発揮して、新しい規範を創造した、その大切なひとつに武器輸出三原則がある、と私は思います。
まず67年に、これは国際的な圧力の範囲内でのことでしたが、佐藤内閣が、①共産圏向け、②国連が輸出を禁止している国、③国際紛争当事国か恐れのある国への輸出を禁じました。加えて三木内閣が、さきの対象地域以外にも「輸出を慎む」という統一見解を出します。現在まで武器輸出全面禁止は続けられて、いずれの大国に対しても誇りうる新しい規範となりました。さらに、冷戦終了後の世界の窮状が、先見の明をあかしています。
それをとくに今、経団連が廃止するよう政府に迫るのは、防衛産業部門の、かれらの意識内での突出を示すものです。私は戦後60年の、経済界で力を持ちながら、あまりに政治主義的であることは自制した、「理性的な自己決定の能力」を持つ人の後継ぎたちを信じたいのですが……
ブッシュ体制のもとでの「軍産複合体」肥大を警告する声は、世界各地の報道に見られます。アメリカの言論界にも、それをいう言語学者ノーム・チョムスキーの発言に耳をかたむける経済人は出てきています。
九条の会」の集まりで私が話しているのは、戦後の苦しく新鮮な再出発の時、子供の自分がなにを経験し、なにを感じとって理解し、そしてなにを希望したか、ということです。私は、いまの子供に、また忘れていないのにウソをいう大人に、子供の記憶は正しい、といいたいのです。


*1:原文では傍点