愛川欽也「学童疎開への思い - 憲法尊ぶ座標 一度もぶれず」(朝日新聞2005年3月22日(火)夕刊)

愛川欽也学童疎開への思い - 憲法尊ぶ座標 一度もぶれず」(朝日新聞2005年3月22日(火)夕刊)

終戦60年を振り返り東京都内で開かれた催しで、タレントの愛川欽也さん(70)が9日、「学童疎開時代への思い」と題し講演した。
東京・巣鴨出身。44年、国民学校4年で長野県上田市学童疎開。戦後も母子で各地を転々とした。今もイラク戦争などのニュース映像を見ると、東京大空襲があった45年3月
10日、埼玉県から見た東京方面の空が炎で真っ赤だったことを思い出す。
終戦後、復員兵だった社会科の先生から、中学2年で「平和憲法と民主主義」を教わった。「国で一番大切な法律に、戦争をしないと書いてある。すごい憲法だ、と先生が言った。以来、ぼくの頭の中の座標は、この年齢まで一度もぶれたことがありません」
テレビにかかわって半世紀。「かつては撮影の待ち時間や食事時などに、スタッフと戦争や憲法の話をよくした。最近は敬遠されるけど、イヤなじいさんだといわれても、若いディレクターを捕まえての平和談義は続けたい」