逐条点検 日本国憲法(東京新聞)

暮らしそのもの『国の基本』全103条


<第83条> 財政難、改憲論の口実に

国の財政を処理する権限は、国会の議決に基づいて、これを行使しなければならない。

ここから財政の章に入る。この条ではまず、国が国民に税金を課したり、その税金を使ったり、さらに国債を発行して借金するような「財政の処理」がすべて、国民の代表による国会で決めなければならないという基本原則を定めている。これを「財政立憲主義」という。
憲法では、国会が国の予算に協賛する権利は一応あったが、国会に決定権はなく、政府の判断で決めることができた。おまけに、緊急の場合は、勅令で財政の処理を行うことができた。
その結果、戦時中には軍事費を調達するため、国債を乱発して財政破たんにつながった。
この条文の根底には、国民が選んだ国会議員に任せることで、不当に高い税金を国民に負担させることなく、日本の家計を適切にやりくりしてくれるという期待がある。
ところが、今、国の財政はどうなっているだろう。ムダな公共事業、無計画な国債の乱発で、日本の家計は火の車になっている。
財務省によると、二〇〇五年度末の国の長期債務残高は六百二兆円、地方分も含むと七百七十四兆円に額が膨れ上がる見通しだ。国民一人当たり、約六百万円もの借金を背負わされている計算になる。
これでは、国会が憲法の精神に沿って、適切な財政運営をしてきたとはとてもいえない。カネの使い道こそ違うが、結果として戦前と同じ失敗を繰り返しているようにさえ見える。
破たん寸前の財政状態を前に、衆参両院の憲法調査会論議では、財政健全化の文言を憲法に入れるべきだとする発言が相次いだ。中曽根康弘元首相や鳩山由紀夫民主党代表の試案でも、健全な財政の維持や運営に努めるという趣旨の条文が盛り込まれている。
しかし、財政が悪化したから憲法に財政健全化を書き込もうという発想は、釈然としない部分が残る。国会議員の失政の責任を憲法のせいにしているように見えるからだ。