大江健三郎「伝える言葉 - 協同する選択 - 歴史に根ざした展望を」(朝日新聞2005年6月14日(火)朝刊)

大江健三郎「伝える言葉 - 協同する選択 - 歴史に根ざした展望を」(朝日新聞2005年6月14日(火)朝刊)

十年ぶりに韓国へ行ってきました。ホテルの窓から見おろすソウル市庁舎前の広場は、大きい長円形の芝生がみたし、それはサッカーのワールドカップの国民的熱狂の記念ということでしたが、私が見たのは、やはり国民的な習俗にしたがった衣装と音楽で、ゆったりした広がりを使って行われる結婚式の情景でした。
生命保険の会社や系列の大きい書店を背景にしている文化財団の開いた、二度日の世界文学会議です。「平和のために書く」というテーマの集まりでしたが、文学的に多様で、若い私には西欧の象徴だったル・クレジオが、かれ自身、フランスの周縁としてとらえている生地南仏からアフリカ、中南米との農民・漁民的なつながりを話すのを聞き、認識を改めました。
中国文学の最初の民主的世代として登場し、国外に出た北島(ベイダオ)に始めてカリフォルニアで会った時、詩人は神経質な青年でしたが、いまは長年の亡命生活に鍛えられた壮年で、九一年から五年間の詩集をまとめて英訳したものを読むと、じつに確実な知的手法で同時代を表現していました。
やはり初期作品から注目していた韓国を代表する作家、黄皙暎(ファンソギョン)が民衆の巫俗(ふぞく)の形式を使って朝鮮戦争時の悲劇を描いた『客人』に圧倒されていたのですが(岩波書店刊)、力にみちた面魂で現れたのも善びでした。
かれは、活発に創作するなかで「訪北」し、その後ドイツ、アメリカで亡命生活を送ってから、帰国しても長く獄中にあった人です。
私が会議の発表とつないで、さきの大きい書店と漢陽大学で講演したのへ後者ではかれが加わってくれ、その強い声の発言は、満場の学生たちに目覚ましい仕方で迎えられたのです。
私は自分が訪ねようとしている国が、歴史教科書や竹島(韓国では独島)の問題、小泉首相靖国参拝について緊迫した局面にあるのを意識していました。
私は、日本でいってきたことと韓国でいうことの間にウソをまぎれこませない、という覚悟をかためて、とくに学生たちの前に立ったのです。しかしかれらは積極的でいながら注意深く耳をかたむけてくれました。
私のとくに論点としたのは、実業家たちは未来志向の新時代というけれど、日韓の未来を深く展望するためには、<同じだけ深く>*1、歴史に根ざす気持ちがなければならない、ということ。そして、現在の具体的な問題点を解決するためには、(日本人である自分が韓国人のナショナリズムをいう資格を持つとして)いちいち人間の仕事の現場から出発することが、日韓ともにナショナリズムの水位を高める方向より、有効だということです。
私の発言に続いて、黄さんはいかなるナショナリズムについても自分は留保をつける、と経験にそくした信念を語り、結びとして国際的に評価の高いポーランド史の専門家林志弦(イムジヒョン)の、私らの考えを学問的に支えてくれる挨拶がありました。
この三月の韓国の慮武絃(ノムヒョン)大統領の演説と、国民向けの談話は、就任以来の穏やかな対日路線からの転換、というニュアンスで日本のマスコミに受け止められたように思います。
《今回はこれまでと違う形でいくつもりです。正しい対応をとっていきます。もちろん感情的な強硬策はとりません。戦略を持って慎重に、かつ積極的に対応して行きます。途中でうやむやにすることもありません。将来を見通し、持続的に対応していきます。》
しかし、ドイツの戦後一貫した反省と償いを評価してきた韓国の政治家たちのなかで、私は慮大統領が一歩踏み出して、フランスの(それは渡辺一夫が、戦中・戦後、紹介し続けたあの国の文化の特質としての「寛容の精神」をすぐに思い出させますが)対ドイツの態度に言及していることを意味深いと感じます。
《われわれ韓国民もフランスのように寛大な隣人として、日本と一緒にやっていきたいという願いを持っています。》訳は、大使館ホームページ。
この言葉を突き返すようにして、小泉首相は、靖国神社参拝を強行するだろうか? 両国の関係を憂える韓国の研究者の質問に、私は小説家の想像で答えました。
首相のこのところの言動に浮かび上がっているのは、まともなかたちの「公的」な論理より、「私的」な信条に殉じようとする、閉鎖的な思い込みだ。あれだけ人気役者の演出に優れた人が、しばしは沈黙する(あるいは意味不明のことをいう)のは、退場する際の自分を惜しむ「声なき声」のナショナリズムをすでに思い措いているのだろう。
しかしその後も生き続けなければならない、そして傷つけられた東アジアの国際関係をやりなおさなければならない(とくに若い)日本人の展望には、ナショナリズムより他の根本態度が必要となるはず。それを協同の選択にしようという知的な声も起こっている、と私は考えています。


*1:原文では傍点