梅原猛「反時代的密語 - アニミズムと生物学」(朝日新聞2005年8月23日(火)朝刊)

梅原猛「反時代的密語 - アニミズムと生物学」(朝日新聞2005年8月23日(火)朝刊)

最近、アニミズム復権ということが囁(ささや)かれる。十九世紀のイギリスの人類学者、E・B・タイラーは、アニマすなわち精霊が人間ばかりかすべての動植物の中にも存在するという思想が原始民族の信仰であると論じた。タイラーのいうように、アニミズムは農耕が発明される以前の狩猟採集時代においてほぼ世界共通の信仰であったといってよかろう。
農耕の伝来が遅く、縄文時代すなわち土器を使用する高度に発展した狩猟採集時代が一万年以上も続いた日本においては、このアニミズムの思想が強く残っている。六世紀に日本に移入した仏教は十一世紀において天台本覚論を生み出した。天台本覚論はほとんどすべての日本仏教の前提になるが、その思想は「山川草木悉皆(しっかい)成仏」という言葉に示され、まさにアニミズムそのものである。また今なお日本のいたるところに動物を神の使いとする自然信仰の神社が残っている。アニミズムこそ日本の思想的伝統であるといってよい。
西洋の多くの思想家は、アニミズムから多神教が生まれ、多神教から一神教が生まれ、その一神教の精髄がキリスト教であり、キリスト教の文明から西洋の科学技術文明が生まれたと考える。しかしこの一神教は、人間のみが神の似姿である理性をもつことによって他の動植物よりはるかにすぐれていて、動植物に対する生殺与奪の権を与えられているという考えをもつ。近代文明の原理を提供したデカルトやベーコンなどは、世界の中心に理性をもった人間をおき、この人間に対立する自然世界の法則を知ることによって自然を奴隷の如く支配することこそ歴史の進歩であると考えた。
このような思想にもとづいて近代文明はつくられ、現代の先進国の人間は今までの人類が夢にさえみなかった便利で豊かな生活を満喫している。しかし現代人は、このような近代文明は環境を破壊し、やがて人類の滅亡を招くのではないかという不安を感じ始めるようになり、人間と動植物の共存を唱えるアニミズム復権が囁かれるのであろう。
私は、二十世紀後半からめざましく発展した遺伝子学はアニミズムの科学的正当性を証明するものであると思う。遺伝子学は、動物・植物ばかりかすべての生物は、二本の鎖がねじれ合った二重らせん構造をとるDNAによって支配されているという。ショウジョウバエの遺伝子の六十%が人間の遺伝子と相同性をもち、また人間とチンパンジーとの遺伝的な違いはわずか一・二三%にすぎないことが数年前に発表された。このような事実は人間中心思想への根本的反省を強いるものであろう。アニミズムを現代の生物学によって再構成すべきではなかろうか。
このようなことを考えているとき、私は一冊の本に出会った。それは日高敏隆氏と羽田節子氏の訳になるユクスキュルの著書『生物から見た世界』(岩波文庫)である。ここでユクスキュルは、動物を機械としてみる生物機械論の説に反して、動物は機械ではなく機械操作係であるという。
たとえば、雌のダニは交尾を終えると適当な灌木の枝先に登り、その枝の下を小動物が通るのを待つ。ダニには目がなく耳もないが、哺乳(ほにゅう)動物の皮膚腺から漂い出る酪酸の匂いを敏感に嗅ぎつけると、枝から落ち、動物の皮膚に密着して血を吸う。そして血を吸い終わると地面に落ち、産卵して死ぬ。このような雌ダニは酪酸の匂いにのみ敏感に反応する知覚器官と、その匂いを嗅ぐやたちまち行動を起こす作用器官をもっている。雌ダニにとって、この世界の他の一切のものは捨象され、酪酸の匂いだけが現実なのである。
ダニばかりかすべての生物、アゲハチョウもハエもイヌもこういう特殊な知覚器官と作用器官をもち、甚だ抽象的な世界に生きているとユクスキュルはいう。彼は植物については言及していないが、植物も同じような抽象的な世界に生きているのであろう。そしてこのようにすべての動植物がそれ独自の歪(ゆが)んだ世界をもっていることを発見すれば、われわれを取り巻く環世界は秘密に満ちた実に豊かな世界になるとユクスキュルはいう。
私はこのダニの話を興味深く読んだが、ふと、今の日本で活躍している短期日で何百億という金を儲(もう)けたような人たちは、酪酸の匂いにのみ敏感なダニのようにカネの匂いにのみ敏感で、獲物とみるや飛びかかるような人間ではないかと思った。そういう人はこのような世界のみが現実の世界であると思っているようであるが、それはカネ以外のものが捨象された大変貧しい世界なのではなかろうか。
すべての生物が生存のために特殊な知覚器官と作用器官をもち、抽象的な世界に生きていることを認識することは、生命のかぎりない豊饒さを知ることになる。環境問題の解決には、人々がそのような世界の豊饒さを知り、それを楽しむ余裕をもつことが必要なのではなかろうか。