「坂本龍一さんからあなたへ - なぜぼくら人間は音楽をやるのか」(朝日新聞2005年9月10日(土)朝刊)

坂本龍一さんからあなたへ - なぜぼくら人間は音楽をやるのか」(朝日新聞2005年9月10日(土)朝刊)

なぜ人間は音楽を聴いたり、歌ったり、演奏したり、作ったりするのだろう? ぼくたちホモ・サピエンスの先祖はいつから、なぜ音楽をやるようになったのだろう? これはぼくが音楽の勉強を始めた10代の頃から抱いている疑問です。が、53歳になった今でも答えは分かりません。おそらく死ぬまで分からないのではないかと思いますが、人間が音楽をやるという事実は変わりません。
30歳代初めのころ、ふと「人間に近い猿も音楽をするのだろうか?」という疑問をもち、上野動物園の飼育係の方に調べてもらいましたが、答えは「ノー」でした。胸をドンドン叩(たた)いたり、声を発したりと、人間からは音楽的行為のように見える行動も、彼らには別の目的があるとのことでした。そうだとして、ぼくたちの音楽にはどういう目的があるのでしょう?
よくこんな言葉を耳にします。「Aさんの音楽が元気をくれた」「Bさんの音楽で癒(いや)された」。本当にそんなことがあるのでしょうか? 音楽はビタミン剤のようなものでしょうか? それが音楽をする目的でしょうか? ここでもぼくは疑問を感じるのです。
ぼくたちが今使っている「ハ長調」のような音階も、三拍子とか四拍子という拍子も、ドミソとかレファラなどの和音も、300年前バッハが使っていたものと同じです。これらは誰が作ったものでしょうか? 未来永劫(えいごう)変わらずに使い続けていると、いつか使い尽くしてしまわないのでしょうか? 同じ音階や和音を使って、いったいどれだけの音楽が作れるのでしょうか? それは計算できますか?そもそもこれらは長い時間をかけてヨーロッパで発達し、明治維新の後に日本に輸入されたものです。その時日本の音楽は遅れたものとして禁止されてしまいました。ですからそれ以降わたしたちは知らずに、音楽的にはヨーロッパ語をしゃべっているのです。これは不自然なことではありませんか?
ところで4年前の9月11日、ニューヨークという街から音楽が消えてしまいました。こんなことは生まれて初めての体験でした。人はあまり驚いたり恐怖を感じたりすると、音楽ができないようなのです。その時ぼくは深く思いました−音楽を楽しむためには、戦争ではなく平和が必要なんだ、と。