「高木敏子さんからあなたへ - 過ち繰り返さぬよう 心の輪を結び広げて」(朝日新聞2006年1月28日(土)朝刊)

早いもので、敗戦からもう60年がたちました。1945年3月の東京大空襲で、両国に住んでいた母と2人の妹を、8月に神奈川県二宮駅で起きた米軍の機銃掃射で父を亡くした私は当時13歳。以来ずっと、戦争だけは二度と起こしてはならないという気持ちで生きてきました。
ガラスのうさぎ」も、娘や息子、その友達に戦争のむごさ、敵味方もなく死んでいくむなしさを知ってほしいと思って書いたものです。
出版の数年後から、アニメ映画化のお話は3度ほど頂いていました。それでも私は、「漫画では悲しみは伝わらない」と固辞し続けてきました。
考えが変わったのは3年前、当時中学2年だった孫息子のアドバイスを受けてからでした。
孫はかねて、「おばあちゃんの本には難しい言葉がいっばい出てくる。このままじゃ、いつか戦争のことは伝わらなくなっちゃうよ」と言っていました。「学徒出陣」「戦災横死」など、今の人には意味が分からないというわけです。
そして、「火垂るの墓」のビデオを貸してくれました。「空襲の場面は爆弾が何発落ちてきてと書くより、イメージが伝わると思うよ」と言いながら。
ちょうどその頃はイラク戦争の真っ最中でした。爆弾を落とす映像は何度も見ましたが、落とされる側の映像は見たことがありません。人々が炎の中を逃げまどう戦争の実態を知ってもらいたい。そんな思いもあり、アニメ映画のお話を受けることにしたのです。
戦争を知る世代は少なくなりました。私の体もいくつもの病気を抱えてしんどくなる一方です。それでもここまで生きてこられたのは、戦争の体験を語り継いでいけるよう、亡くなった両親や妹たちが力をくれているからなのだと思います。
今でも両国駅の前を電車で通り過ぎる時は、家族を思い出して窓の外を正視することができず、心の中で合掌しています。
戦争を知らない子どもたちの、さらにその子どもたちにお願いです。戦争を起こすのは人の心です。戦争を起こさせないようにするのも人の心です。戦争を起こしてもいいという心を持つ人が増えたら、過ちが繰り返されてしまうかもしれません。みんなで戦争を起こさせない心の輪を強く結び、世界に向かって広げていきましょう。