丸谷才一「袖のボタン - 守るも攻むるも」(朝日新聞2006年2月7日(火)朝刊)

丸谷才一「袖のボタン - 守るも攻むるも」(朝日新聞2006年2月7日(火)朝刊)

日本海軍は奇妙な記録の保持者である。みずから爆沈した軍艦が五隻もあって、これは世界有数なのだ。自慢できることではないので、あまり知られていないと思うから、艦名、事故の年月日、場所を書きつけて置こう。

  1. 戦艦 三笠一九〇五(明治三十八)年九月十一日佐世保軍港
  2. 海防艦 松島一九〇八(明治四十一)年四月三十日澎湖島馬公
  3. 巡洋艦 筑波一九一七(大正六)年一月十四日横須賀軍港
  4. 戦艦 河内一九一八(大正七)年七月十二日徳山湾
  5. 戦艦 陸奥一九四三(昭和十八)年六月八日瀬戸内海柱島

このリストは半藤一利さんからもらったのだが、半藤さんの話によると、三笠は日本海海戦の勝利に浮かれた水兵たちが火薬庫のなかで宴会をしたせいでの事故だという。これは翌年に引揚げてからの調査でわかった。陸奥の査問委員会は「火薬、砲弾の自然発火を否定し、人為的放火による疑い濃厚と判定」した(『相模湾海軍工廠』)。この資料は鳥居民さんの提供による。そして三笠を除く四艦の爆沈の原因は明らかでない。このへんのことは吉村昭さんの本にも書いてある。そしてこれについては、「日本の艦はよく爆沈するが、少なくとも半数は制裁のひどさに対する水兵の道連れ自殺という噂が絶えない」という中井久夫さんの記述がある(『関与と観察』みすず書房)。中井さんは精神科医だが、父方の一族に軍人が多いせいで、この種の情報に詳しいのだ。
こんな話をはじめたのは、『関与と観察』中の一文に触発され、一昨年暮れから昨年半ばにかけての一連の報道を思い浮べたからである。すなわち海上自衛隊護衛艦「たちかぜ」の二等海曹某(34)の犯行と裁判。彼は艦内で後輩隊員(20と25)に、パンチパーマにせよと言いつけたのに従わなかったという理由でエアガンを発射し、暴行した。別の後輩隊員(19)を脅してCD-ROMを十七万円で買わせた。また同艦内で後輩隊員六人に強制し、エアガンとガス銃を用いてサバイバル・ゲームをおこなった。同艦勤務だった隊員(当時21)が、彼のいじめをぜったい許さないと遺書に記して自殺したことも判明した。元二等海曹は懲役二年六月、執行猶予四年の判決を受けた。防衛庁は終始、この事件の解明に消極的だったが、朝日、毎日、読売の三紙を検索する限り、社民党の国会議員たちはその隠蔽(いんぺい)体質をかなりよく批判して、党の存在を明らかにした。自民、民主、共産はなぜか関心を示していない。
旧日本軍は私的制裁がひどかったし、上官への絶対服従が掟(おきて)とされていた。リンチは教育の手段として黙認されていたが、実は徴兵制度によって強制的に自由を剥奪(はくだつ)されている者が、鬱憤(うっぷん)を晴らすためのサディズムであった(陸軍の場合は、文学では野間宏の長篇小説『真空地帯』、美術では浜田知明の連作版画『初年兵哀歌』がその実態を描いたものとして有名)。このいじめが極点に達したとき、被害者は脱営逃亡ないし自殺を選ぶしかなかった。実を言うとわたしは、そのことはよく知りながら、そして多少は実際に体験していながら、自衛隊については楽観視していた。徴兵制ではなくなって自分の意志で入隊しているわけだし、アメリカ軍の風俗が取入れられているだろうし、戦後の人権思想が滲透(しんとう)しているはずと考えていたらしい。野呂邦暢の『草のつるぎ』という自衛隊に材を取った小説に、そんな気配がなかったことも響いているかもしれない。いずれにしても、まことにおめでたい話だった。自衛隊は旧日本軍と同じくリンチが盛んだし、さらに上層部はそういう事態を、容認したり、糊塗(こと)しようとしたりしている。今度の事件に対する防衛庁の反応を見れは、そう推定するしかない。陰湿ないじめの体質、それを傍観して平気でいる気風は、われわれの社会から除きがたい。戦前も戦後も日本は変らないのである。
◇ - ◇ - ◇ - ◇ - ◇
そのことを端的に示すものは自衛官の自殺者数である。陸上、海上、航空の総計を年度別に記す。

  1. 00年度73人
  2. 01年度59人
  3. 02年度78人
  4. 03年度75人
  5. 04年度94人

で、ゆるやかな増加の傾向にある(毎日新聞。〇五年五月十九日)。脱営逃亡者の統計は発表されていないのだろうか。それもかなりの数にちがいないし、この種の破局に至らないリンチは数え切れないほどだろう。
われわれの文明のこういう局面はまことに不快なもので、心を暗くするに充分(じゅうぶん)である。どうやら近代日本人は軍隊という厄介な組織を持つのに向いていないらしい。近頃は改憲とか再軍備とかを主張する論者が多いけれど、その種の議論をする際、このような国民全体の幼さを考慮に入れる視点も必要だろう。