大江健三郎「伝える言葉 - 面白く話す - 聞き手に恵まれた幼少期」(朝日新聞2006年2月14日(火)朝刊)

大江健三郎「伝える言葉 - 面白く話す - 聞き手に恵まれた幼少期」(朝日新聞2006年2月14日(火)朝刊)

その鼠(ねずみ)が私らの生活に入って来たのは、半年ほど前のことです。家族が寝静まった後、仕事に一区切りつけて台所に飲みものを取りに入ると、流しの上の棚から黒い影が跳んで、こちらの肩を越える時、一瞬静止するふうでした。
それからの長期の闘いで、かれの印象は禍禍(まがまが)しく成り優ったのですが、この出会いに関する限り、サッソウたる若い跳び姿と受けとめたものです。鼠は軽い音をたてて着地すると、左奥の、小さな書庫兼物置の、開いていたドアの暗がりに走り込みました。
長さは指を伸ばした手の平ほど、幅はその半分、毛皮はみずみずしい漆黒で、胴から下肢につながるあたりの、ふっくらしていながら切れ味の良いシルエットは、席に跳び乗る怪傑ゾロさながら。翌朝私は、家内に楽しんで報告したものです。
ところが家内の表情には不安のかげりがありました。もう幾晩も、天井裏での傍若無人な物音に目をさまされてきた。しかもその気配が、これまでも時を置いて家に出ていた鼠とは違う気がする……
そして家内の不安は、もともと東南アジアのジャングルで暮らしていた種類が貨物船でこの国の港に上陸し、都市に浸透し始めている、という記事を新聞に見つけたことに結んでいるのでした。
これがきっかけで、私らの家にも鼠退治の専門家に来てもらうことにしたのです。家の外壁から屋根、床下の構造にまでわたって、鼠の侵入しそうな穴はすべてふさぐ。廊下や収納部分から揚げぶたで天井裏に通じている箇所(かしょ)には、鼠を誘う薬品と強力な接着剤を塗った板を置き並べる。
◇ - ◇ - ◇ - ◇
そして、成果はどうだったか?
鼠は罠(わな)にかからず、夜間の活動はかえって盛んになる感じ。鼠が逃げ込むのを見た小部屋にはもちろんのこと、台所にも鼠のフンが見つかりました。台所の戸棚に、また〈ふた〉のある容器に、かれの食料になりそうなものはみなしまうと、食堂へのドアの隅がかじられて小さい通路が造られました。
鼠が棲みついた小部屋のドアは閉めきりにしたので、尿の臭いがこもることになり、一日、外への窓を開け放って、平和的な退去をうながす試みもしたのです。鼠は出かけて行き、水や食物をあさりもしたようですが、夜には戻って来ました。寒さに弱いタイプらしい(冬になっていました)、というのが家内の観察です。
ひとつだけ救いだったのは、鼠に仲間がいる気配はなく、繁殖もしなかったことです。遠方から来た、したたかな単独者というのが、私のなかで固まったかれの肖像でした。それ相応に態度は大きく、小部屋を閉ざしたこちら側で家内が揚げ物をしていると、しきりにドアをかじる音をたてたあげく、下の隙間(すきま)から尻尾(しっぽ)を出して、示威運動をしたそうです。
鼠退治の専門家の努力は続いていました。二階の書庫の奥で見慣れぬ道具を持った人物に出くわして、互いにギクリとしたりもしました。請求書はキチンと届きます。そして家内が、専門家の手法に見切りをつける時がきました。独自の行動に出るに際して、彼女が採用したのはアマチュア主義です。
家内は薬屋で鼠を誘い込む紙の家を買って来ると、なかに大ぶりのリンゴの四つ割りを置きました。専門家からは、そうしたタクラミは鼠がすぐ見破る、といわれていたものです。それも家内は、尿の臭いで息苦しい小部屋の真ん中に据えつけました。
脇で見ているだけの私には、むしろ彼女が、鼠に敗北した人間の側から、恭順の意を表明する贈り物をしている(罠は口実)とも感じられました。
ところが、その深夜、必要な辞書を取りに息をつめて小部屋に入った私は、足もとの紙の家から長ながと伸びている丈夫な尻尾を見ました。三角形の断面の筒をいっぱいにした鼠の、わずかに覗(のぞ)く尻は衰え、艶(つや)のない黄色の毛皮も寒ざむの、老い込み様……私には惻隠(そくいん)の情が起こったほどです。
さて、私は家庭の小事件を伝えながら、話を面白くしようとする自分を意識していました。作り話をまぜるつもりはないのですが、これは私が小説を書く職業となるより前、子供の時からの性癖なのです。
子供の多くがそうした話しぶりをしますが、私の場合、母親が、−本当に?とか、−ウソでしょう!とかいわない人だったので、伸び伸びと面白い話に精を出したものです。
そのまま大人になり、生真面目(きまじめ)な知人からは、話を作る、とヒンシュクされることもありますが、私は母親独自の、話の聞き方によって育てられたことを後悔していません。
先だって朝日賞はじめの授賞式で、科学の最前線と文化の諸領域で優れた達成をされた方たちの話を聞きました。科学者の話が面白く、感動的なのも、芸術畑の方たちの話と同じです。その内私は、これらの人たちが子供の時の、良い聞き手に生き生きと話をする情景を想像していました。