思潮21『老成を気取る前に「平和」「公」自問を - 団塊の世代へ』寺島実郎(朝日新聞2006年2006年4月4日(火)夕刊)

思潮21『老成を気取る前に「平和」「公」自問を - 団塊の世代へ』寺島実郎朝日新聞2006年4月4日(火)夕刊)

二〇〇七年間題、団塊の世代の大量定年退職のインパクトをそういうのだそうだ。このことを他人事では語れない。私自身の世代の問題だからである。戦後日本に生まれ、戦後なるものを呼吸してきた先頭世代が六〇歳前後になったということで、生き方による個人差はあるが、「時代の子」として身につけたものを総括すべき局面だともいえる。
団塊の世代が戦後日本の現場を支えたのに中高年層に達して「リストラ」の対象にされ気の毒だ、との議論もあるが、実は正しくない。大阪万博の七〇年前後に社会参加し、人口的に団塊であったにもかかわらず就職難ではなかった。右肩上がり経済を生き、八〇年代末バブルを中間管理職として味わった。「失われた十年」とされた平成不況を経て息苦しくなったが、それでも終身雇用の経営システムの残滓(ざんし)を享受し、退職金ぐらいは確保できる世代である。比較的恵まれた世代なのだ。
この世代が何者だったのかはその子供たち、つまり団塊ジュニアに映し出される。大まかにいって現在三五歳前後から二三歳前後の世代が団塊ジュニアといえる。極端な例を誇張する気はないが、ホリエモンとその仲間、九七年に起きた神戸連続殺傷事件の犯人だった一四歳の酒鬼薔薇(さかきばら)少年、そして現在続発する幼児虐待の母親たちを注視するとその両親が団塊の世代であることに気付く。「親の背中を見て育つ」というが、団塊の世代が身に着けた価値観が投影された社会面の記事が生まれていることに慄然(りつぜん)とする。
厳しく自画像を問い詰めるならは、我々の価値観に蓄積されたものは「経済主義」と「私生活主義」であった。日本は敗戦を「米国への物量の敗戦」と総括した。その視角から生まれたのは物量の復興・成長への希求であり、イデオロギーを超えて「経済」に一義的価値を感じる傾向を深めた。拝金主義の助長という空気を醸成してきたとさえいえる。
もう一つ、極端な抑圧や統制のない戦後という時代を生き、日本人として初めて「自分の人生を自分で決めうる世代」となったのが団塊であり、それが「私生活主義(ミーイズム)」への傾斜という価値観を身につけさせたといえる。それを「柔らかい個人主義」として評価する論者もいたが、個人主義が全体の強制にも屈せぬ思想・哲学にも繋(つな)がる強靱(きょうじん)な意思であるのに対し、団塊が身につけたのは「他人に干渉されたくも、したくもない」という程度の私生活重視のライフスタイルのようなものだったと思う。
経済主義と私生活主義の谷間に生まれ育った団塊ジュニアが増幅された形での私的世界への陶酔とためらいなきマネーゲームの肯定という価値を身につけたとしても不思議ではない。団塊の世代が親子二代にわたり醸成しているのは「やさしいミーイズム」であり、否定的に論ずべきものではないかもしれない。抑圧を受けた人間が抱きがちな屈折した感情もなく、感性豊かで他者への思いやりをみせる余裕もある。ただその裏側で、私生活を超えた時代とか社会の抱える不条理に対する問題意識は刻々と希薄化しており、ここに課題を残すのである。
かかる状況下で団塊の世代は嘆息しつつ立ち尽くすのだろうか。改めて、団塊の世代の思想的基軸が問われているのだと思う。日本の戦後を生きた人間の衿持(きょうじ)が試されている。まず自問したいのは平和の時代を生きることのできた者の責任である。全共闘運動の世代として七〇年安保という最後の政治の季節に燃焼し、政治闘争の空(むな)しさを感じとって「非政治的人間」として生きてきた。
今、戦後の半世紀も続いた冷戦が終わり、「平和の配当」の時代を迎えたと思うまもなく九・一一の衝撃を経て、二一世紀初頭の世界は「力の論理」に基づく問題解決と憎しみの連鎖に吸い込まれている。相手の立場を理解する努力を欠いた「閉ざされたナショナリズム」が跋扈(ばっこ)しつつある。団塊の世代の平和主義志向が本物なのか真価が試されている。
改めて考えてみよう。我々は「独立国に外国の軍隊が長期に駈留し続けていることは不自然なことだ」という常識さえ見失いつつあるのではないか。米国の世界戦略に呼応するだけの外交がいかに空虚なものか、泥沼化するイラク戦争の現実を直視すれは分かる。「戦争を知らない子供たち」を口ずさんだ団塊の世代が不条理な戦争に加担する空気に傍観者の役割しか演じないならば、平和な時代を生きえたことの価値など何ほどのものでもない。
もう一つ、団塊の世代に問われるのは「新しい公共」への思想軸である。我々の世代は「公」という言葉が嫌いだった。「滅私奉公」といわれた時代を思い出したくないために、全体による個への抑圧を拒否した。今日でも「官から民へ」などとして官と民の二元論でことが運ばれがちだが、官と民の間には「公(パブリック)」という概念が存在する。いかなる社会でも、誰かが公的目的性の高い分野を支えて、利害損得を超えて汗を流すことをしなけれは、社会システムは安定しない。
例えば、競争主義・市揚主義が吹き荒れているかに思われがちの米国だが、一〇〇〇万人以上の人がNPO(非常利法人)で働き、福祉医療、教育文化、コミュニティー環境保全などの分野を支え、その何倍もの人が無償のボランティア活動で汗を流していることが無味乾燥な社会に陥ることを回避させている事実を忘れてはならない。団塊の世代が私生活主義に埋没したまま後代にのしかかる笠の雪となるのか、あるいは社会の一隅を支える力になるのか、日本の高齢化社会の姿はこの世代の覚悟にかかっているとさえいえる。それぞれに自分らしい参画があるはずだ。まだ、戦後など終わってはいない。老成を気取り小成に安んずる前にやるべきことに向き合わねばならない。