「教基法衆院可決」各紙の社説

社説「教育基本法 この採決は禍根を残す」(asahi.com 2006年11月16日(木))

教育基本法の改正案が衆院特別委員会で、与党の単独採決により可決された。野党は採決に反対して欠席した。
教育基本法は、未来を担う子どもたちを育てる理念や原則を定めたものだ。政権が代わるたびに、内容を変えていいものではない。
国会は多数決が原則とはいえ、与党だけで決めるのは、こうした大切な法律の改正にはふさわしくない。単独採決はまことに残念だ。
私たちは社説で、政府の改正案には疑問があることを何度も主張してきた。
いまの学校や教育に問題が多いことは間違いない。しかし、その問題は基本法のせいで起きたのか、改正すれば、どう良くなるのか。教育の問題を法律の問題にすり替えているのではないか。教育基本法を変えなければできない改革や施策があるなら、示して欲しい。
愛国心」を法案に盛り込むことについては、自民、公明両党の論議で、「他国を尊重する」という文言が加えられた。愛国心の暴走を防ぐうえで、この文言は重要な意味がある。しかし、それでもなお、法律で定めれば、このように国を愛せと画一的に教室で教えることにならないか。そうした疑問だ。
改正案の審議は、先の通常国会に提出されてから、延べ100時間を超えた。臨時国会では、必修科目の履修漏れや、いじめ自殺、さらにはタウンミーティングのやらせ質問が焦点になった。
必修漏れやいじめは、教育の深刻な問題がにじみ出たものだ。しかし、そんな問題が基本法の改正とどうからむのか。論議を深める良い機会だったが、実のある論議は聞けなかった。
愛国心」の教え方についても、安倍首相の答弁を聞いて、心配が増した。
愛国心が身についたかどうかを成績として評価するのか。先の国会で小泉首相は「そんな評価は必要ない」と答弁した。ところが、安倍首相は日本の伝統・文化を学ぶ姿勢や態度を評価対象とする考えを述べた。これでは愛国心を子どもたちに競わせることにならないか。
教育基本法が制定されて、来年で60年になる。人間なら還暦にあたる歳月だ。社会の変化を反映させる必要を感じている人は少なくない。愛国心を教えるよう法律で定めることに疑問を抱く人の中にも、公共の精神や伝統を盛り込むべきだと考える人がいるだろう。
そうした議論が深まらなかった責任は民主党にもある。民主党は対案を出したが、愛国心については政府案と大きな差はない。教育委員会ではなく首長が教育行政に責任を持つことが目を引くくらいで、政府案との違いは分かりにくい。
現行の教育基本法では、前文は「われらは」で始まる。戦前の天皇教育勅語に代わって、国民が教育のあり方について意思を示す宣言でもあるからだ。
成立を急ぐあまり、肝心の国民が置き去りにされるようでは、将来に禍根を残すことになる。



社説「基本法単独可決 教育の「百年の大計」が泣く」(MSN-Mainichi INTERACTIVE 2006年11月16日(木))

自民、公明両党が15日夕、教育基本法改正案の委員会可決に踏み切った。これまで私たちは再三、「何のために改正するのか、原点が見えない」と指摘してきた。そんな疑問は解消されたと与党は言うのだろうか。急ぐ理由がまったく見当たらないのに、衆院特別委員会を野党が欠席する中、単独採決したことは将来に禍根を残すことになるだろう。
改正案採決は一時、与党内でも週内に強行採決すれば、19日の沖縄県知事選に悪影響が出ると見て、来週に先送りする意見が出ていた。それが一転、単独採決に至ったのはなぜか。まだ明らかでない点も多いが、安倍晋三首相自身が腹をくくったことだけは間違いないだろう。
改正案が提出されたのは先の通常国会だ。元々、小泉純一郎前首相はさしたる関心がなく、安倍首相(当時は官房長官)が熱意を示す法案だと言われてきた。教育目標に「我が国と郷土を愛する態度を養う」とうたった改正案は、当初から「占領軍に押しつけられた現行法を全面的に改正したい」との動機ばかりが優先しているのではないかとも指摘されてきた。
実際、前国会以来、審議時間こそ費やされてきたが、改正すれば教育はどうよくなるのか、安倍首相らの説明を何回聞いても、結局、明確にはならなかった。
加えて、今国会では、いじめ自殺や履修不足タウンミーティングのやらせ質問と新たな問題が次々と発覚した。いじめや履修不足は今の教育のあり方の根幹にかかわる緊急課題だ。ところが、首相らは「基本法を改正すれば改善されるのか」という問いに答えることができず、「基本法とは別問題」とかわすだけだった。かえって基本法改正には緊急性がないことを認めたようなものである。
採決を来週に先送りした場合、国会会期を延長しないと改正案の成立が難しくなるのは確かだ。首相就任直後の日中、日韓首脳会談再開を除けば、目に見える成果をあげていない安倍首相は、実績作りを急いだのかもしれない。しかし、それは首相の都合というものである。
「与党の横暴」をアピールする民主党も決してほめられたものではない。民主党も独自の対案を提出していながら、それを成立させようという姿勢は感じられず、「時間をかけて審議を」と主張するのみだった。対案を出すということは「今の基本法は改正の必要がある」と党として判断したはずだ。ところが、改正の是非に関しては実は党内の意見は依然、まちまちだ。亀裂を回避するためには、与党が強引に採決してくれた方がありがたい。そんな計算があるのは既に国民も承知に違いない。
政府・与党からすれば教育基本法改正は「百年の大計」だったはずだ。それが、国民の理解が深まらぬまま、こんな状況で衆院を通過しようとしている。今の基本法が「占領軍の押し付け」と過程を問題にするのなら、これもまた将来、「成立の仕方に疑義があった」とならないのか。



社説[「教育」衆院採決]「野党の反対理由はこじつけだ」(YOMIURI ON-LINE 2006年11月16日(木))

「やらせ質問」も「いじめ自殺」も、それを採決反対の理由に挙げるのは、こじつけが過ぎるのではないか。
教育基本法改正案は、衆院特別委員会で採決が行われ、賛成多数で可決した。きょう衆院を通過し、参院に送付される運びだ。
野党は採決に反対し、委員会を欠席した。ボイコットの理由について、教育改革タウンミーティングでのやらせ質問の実態解明が先決だと主張している。
政府は「タウンミーティングなどで、各般の意見を踏まえた上で法案を提出した」と繰り返してきた。これを根拠に、改正案はやらせ質問を前提に作られた欠陥法案だ、という論法である。
やらせ質問は議論の活性化が目的だったと政府は釈明するが、これはやはり行き過ぎがあったと言わざるを得ない。
だが、だから改正案にも問題があると言うのは論理の飛躍だ。政府も「各般の意見」として教育改革国民会議中央教育審議会などの議論も挙げている。タウンミーティングだけに依拠して法案を作ったと決めつけるのは無理がある。
民主党は、頻発するいじめ自殺や高校の未履修問題も「教育基本法改正案の中身にかかわる問題だ」として、その徹底審議が採決より先決だとも主張する。
民主党が国会に提出している対案は、愛国心や公共心の育成を掲げ、家庭教育の条文を設けている。政府案と本質的な差はない。むしろ愛国心の表現は「民主党案が優れている」と評価する声が自民党内にさえあったほどだ。
法案の中身が似通うのは、子どもの規範意識を高め、家庭の役割を重視することが、いじめなど学校現場が抱える課題の改善にも資する、との思いを共有するからだろう。民主党が、いじめ自殺などを「改正案の中身にかかわる」と本気で思うなら、与党に法案修正の協議を持ちかけるのが筋だ。
それなのに、民主党は、改正絶対反対の共産、社民両党と一緒に「採決阻止」を叫んでいる。これでは、多くの国民が心を痛めるいじめ自殺まで、採決先延ばしの材料にしていると言われないか。
衆院特別委の審議はすでに100時間を超える。それでも審議が不十分と思うなら、速やかに参院で審議のテーブルにつけばよい。だが、野党は参院特別委の設置に反対し、委員の推薦を拒む形で審議入りを阻止する構えだ。
審議は尽くされていないと言いながら審議の邪魔をする。こんな相矛盾した態度こそ、「今まで言ってきたことは採決阻止の方便でした」と自ら認めているようなものである。



社説「【主張】教育基本法改正 やむをえぬ与党単独可決」(Sankei Web 2006年11月16日(木))

自民、公明両党は今国会の焦点である教育基本法改正案を野党欠席のまま、衆院教育基本法特別委員会で可決した。16日に衆院を通過させ、参院に送付する予定だ。
民主党など野党は「採決が前提にある限り、委員会の質疑には応じられない」と欠席した。与党の採決を受け、野党はすべての審議を拒否することにした。
この改正案は戦後教育の歪(ゆが)みを正し、教育の主導権を国民の手に取り戻す意味合いがある。与党単独の採決になったが、やむを得ない。
民主党は政府の改正案に対抗して独自の「日本国教育基本法案」を提出していた。愛国心について政府案は「我が国と郷土を愛する態度を養う」とし、民主党案は「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」としていた。民主党案はまた、政府案にない「宗教的感性の涵養」を盛り込んでいた。
与党と民主党が協議し、より良き案にすべきだったが、民主党小沢一郎代表は来夏の参院選に向け、社民党などとの共闘を優先した。教育基本法改正そのものに反対してきた社民党などと違い、対案を示していただけに民主党の対応はきわめて残念である。
現行の教育基本法は昭和22年3月、GHQ(連合国軍総司令部)の圧力や干渉を受けながら成立した。とくに現行法の「教育は、不当な支配に服することなく」の規定は、文部科学省教育委員会の教育内容への関与を排除する根拠とされ、問題となっていた。
これに対し、政府案は「不当な支配に服することなく」との文言を残しているが、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」とするくだりが加わった。このため、国旗国歌法や学習指導要領などを無視した一部の過激な教師らによる“不当な支配”は許されなくなる。
また、政府案は家庭教育について「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と規定している。いじめや学級崩壊、不登校などの問題で、家庭の責任を問う内容になっている。
伊吹文明文科相は「ある程度の変更」に言及している。参院での与野党共同修正を模索する動きも出ている。民主党は抵抗政党ではなく、責任野党としての存在感を示すべきだ。



社説「教育基本法採決 国民の理解が必要だ」(東京新聞 2006年11月16日(木))

教育基本法改正案が衆議院特別委員会で与党単独で可決された。教育をめぐる深刻な問題に直面しながら論議を尽くしたとはいえず、改正を急ぐことに国民の理解が得られるのか極めて疑問だ。
安倍晋三首相は十五日の特別委員会総括質疑で「深い議論を行った」と振り返った。首相は内閣の最重要課題を教育改革とし、今国会での教育基本法改正を最優先している。
これを受けて与党は今国会で成立させるため、参議院の審議を約一カ月と見込んで採決を急いだという。教育の基本理念と原則にかかわる基本法なのに、まず日程ありきで進んだ形だ。
教育基本法は日本の未来を担う子どもたちをいかに育てるかの理念が込められ、その重要性は憲法に準じる。改正案は、学校教育だけでなく家庭や地域社会にも責任を求める内容だ。
一九四七年の現行法施行以来、六十年ぶりの改正となる。まさに国家百年の大計だからこそ、大多数の国民の理解を得ることが何より欠かせない。
政府が改正案に国民の理解が得られた根拠としていた教育改革タウンミーティングでのやらせ質問が発覚し、その根拠が崩れたことは伊吹文明文部科学相も認めている。
安倍首相の言うような重要法案であるから、政治日程を優先したような野党欠席での採決は、国民に受け入れられるとは思えない。
法改正を前に、いじめ自殺や高校必修漏れ問題など、教育の本質にかかわる問題が次々と噴き出してきた。国民が教育に求めているのは、こうした現実問題への対応だった。このため、基本法についての論議は十分ではなかったきらいがある。
しかも、いじめ問題などで浮かび上がったのは、文科省の無責任さや、教育委員会の責任逃れと隠ぺい体質である。
文科省幹部の上意下達による“世論偽造”に等しいやらせ質問や、四年前に知りながら放置していた必修漏れなどが次々と露呈し、国民の信頼を失ってしまっている。自らの姿勢を正さずして、教育基本法改正を語る資格があるのか疑問だ。
改正案そのものの問題点も残ったままだ。「郷土と我が国の伝統と文化を愛する態度を養う」など、愛国心や徳目は大切だが、法律で強制するものではない。国家による教育への管理・統制が強まることも心配される。
子どもたちの悲鳴に耳を傾けて、国民の理解を得るために、国会ではなお論議を尽くすべきだ。



社説「教育基本法の改正 本当にこれでいいのか」(さきがけ on The Web 2006年11月17日(金))

本当にこれでいいのだろうか。改めるにしろ国民的な議論が熟すのを待ってからでも遅くはないのではないか。
「教育の憲法」である教育基本法の改正案が衆院で可決、参院に送られ、今国会で成立する公算が大きくなった。
政府・与党は衆院での審議は十分尽くしたとの認識だ。確かに審議時間は、衆院解散に至った郵政民営化関連法案に匹敵する100時間超に達した。
問題は審議の長さではなく、中身である。しかも審議の後半は、高校の必修科目未履修問題や、やらせ質問などに費やされ、改正案そのものの本質論議は脇に追いやられた。
教育基本法の改正は戦後教育の大転換を意味する。人づくりの根幹が大きく変わるのである。影響は計り知れない。
改正の必要性や改正による新たな教育像の論議が深まらないまま、政府・与党は採決に踏み切った。そう受け取られても仕方がないであろう。
教育が混迷の度を深め、多くの国民が危機感を募らせている状況を好機ととらえ、一気に攻勢に出たとの見方もあながち的外れではない。
基本法改正の焦点は愛国心だけにあるのではない。突き詰めれば、教育の目的が国家のための国民育成という方向に傾く危うさを秘めている。この点にこそ本質が見いだせる。
すぐにそうなるというわけではない。安倍晋三首相をはじめ、現在の政府・与党がそれを意図しているということをいいたいのでもない。
政治状況は今後、どんどん移り変わる。国際情勢も日々刻々と変容してゆくだろう。長い目でみれば、選挙を経るとはいえ、どんな性格の政権が誕生するか誰にも分からないのだ。
もし、将来の政権が国民一人一人より国家に重きを置く教育を施そうとした場合、国民側は歯止めをかける法的根拠を失うことになる。少なくとも今回の基本法改正は、それに道を開きかねないのである。
この方向性は国民が望むところだろうか。そうは思えない。戦前回帰は到底あり得ないにしても、法改正の行方に警戒を怠ってはならない。
教育基本法の改正によって、大多数の国民が願ってやまない教育の再生は達成できるだろうか。はなはだ心もとないといわざるを得ない。
現在の教育混迷は基本法のよしあしというよりは、戦後の政治・社会・経済状況のありように分け入って原因を探る方が妥当だからである。
土台、例えば「ゆとり教育」による混乱は誰が引き起こしたのか。要因はさまざまあるにしろ、第一義的には導入した文部科学省、つまりは政府に責任があるとみて構わないのだ。
衆院を通過したとはいえ、「良識の府」とされる参院での審議はこれからだ。
野党の審議拒否、与党による単独採決などという愚は是が非でも避けてほしい。それこそ教育を政争の具とすることにほかならないからである。
混迷を打開し、次代を担う子供たちをどうはぐくむのか。教育論議は常にこの一点に基づかなければならない。



社説「教育基本法可決・数頼り単独採決でいいのか」(琉球新報 2006年11月16日(木))

安倍晋三首相が最重要法案と位置付ける教育基本法改正案が15日、衆院教育基本法特別委員会で野党が欠席する中、自民、公明の与党単独で採決され、可決された。与党は今国会での成立に全力を挙げる方針を示している。
与党側は、審議は十分尽くしたとするが、果たしてそうだろうか。なぜ改正が必要かなど、国民の理解を得られたといえるだろうか。説明は不十分だったと言わざるを得ない。
野党側の審議継続要求を押し切り、数を頼りの単独採決でいいのだろうか。
教育改革タウンミーティングで改正に賛成する発言をするよう参加者に依頼したことに象徴されるように、改正を急ぎ過ぎた感は否めない。
与党側はこの間、改正理由として「モラル低下に伴う少年犯罪の増加など教育の危機的状況」や「個人の重視で低下した公の意識の修正」などを挙げてきた。
いじめによる相次ぐ子どもたちの自殺など、悲痛な出来事が続発している。少年犯罪も相変わらずである。
その原因が現行の教育基本法にあると言い切るには無理がある。
社会のありようを改善することでしか、事態は解決しないことは明らかである。
教育基本法改正案は「個人」より「国家」に重きを置いていることが大きな特徴である。
改正案は前文に「公共の精神」などを盛り込み「公」を重視している。「個人」よりも「国家・社会」が優先することを打ち出している。
教育現場は今、多くの問題を抱え、難しい局面に立っている。それが「個人」の重視に起因するものとは言い切れないだろう。かえって「個人」を十分に尊重できていないことが、子どもたちを苦しめているのではないか。
子どもたち一人一人を大切にすることを基本にし、それぞれの個性に合った教育こそが今、求められているのである。その状況を改めることに力を尽くすべきだ。
教育基本法を「個人」より「国家・社会」を重視するという改正案は、子どもたちにとってマイナスに作用する懸念がある。
改正案は焦点だった「愛国心」の表現が「国と郷土を愛する態度」に改められている。
しかし、言葉を換えても、心の問題を法律で規定することに変わりはない。
特定の価値観を押し付け、内心の自由を侵害しかねない危険性は何ら解決されてはいない。
自民党文教族教育基本法改正を「憲法改正の一里塚」と位置付けている。改憲への動きが加速することを危惧(きぐ)する。



社説「単独採決 なぜ変える教育の理念」(中国新聞 2006年11月16日(木))

自民、公明の与党が、きのうの衆院教育基本法特別委員会で、野党欠席のまま採決を強行し、政府案を原案通り可決した。
教育の「憲法」といわれる法律の改正論議である。数を頼んだ拙速審議が、なじむはずもあるまい。幾世代にもわたり、子どもや国民の将来を規定する基本法規が、論議の一致を見ないで改正される事態は容認できない。
平和憲法と並び、戦後社会に溶け込んできた法律の改正を、なぜそれほどまでに急ぐ必要があるのか。現行憲法を「戦勝国の押しつけ」として、新憲法制定を最大の政治課題と位置づける安倍晋三首相の思いが強く反映されていることは間違いあるまい。自民党文教族も「教育基本法の改正は憲法改正への一里塚」とみている。
「国家の誤った意思で、二度と悲惨な戦争に迷い込むことがないように」。現行の基本法の前文には、戦争放棄を誓った憲法と同じ精神が、色濃く流れている。普遍の真理ともいえる基本法の理念は、約六十年の時を経た今でも輝きを失ってはいないはずだ。
確かに、連日のように続くいじめに伴う児童、生徒たちの自殺や高校の必修科目の履修漏れ問題は、課題が山積する教育現場の苦境を端的に示しているといえる。抜本的な対策を講じることは急務である。
だが、そうした教育を取り巻く難問解決への糸口が、基本法を変えれば本当に見えてくるのか。
安倍首相は改正の目的について「志ある国民を育て、品格ある国家をつくっていくため」と力説している。政権構想の「美しい国」と同様、理念だけが先行し、真の目的が見えてこない。
これまでの審議を見る限り、国の指示や関与が一段と強まることは予測できるが、首相の言う「教育再生」への手掛かりが得られるのかどうか。国民の納得がいく説明は果たされないままだ。
今国会に対案として出されている民主党案も、「愛国心」の醸成などを強調している点で、与党案とそれほどの違いはない。
与党側は、きょうにも衆院本会議での与党単独採決を経て、法案を参院に送付する。来月半ばの今国会会期末までの成立を図る方針とされる。
参院での審議を含め、与野党とも疑問点を解消する努力を怠るべきではない。国民の暮らしが一変しかねない法案である。厳しい監視の目を注ぎ続けたい。



核心「上意下達 強まる懸念 教基法 争点を点検(東京新聞 2006年11月16日(木))

衆院教育基本法特別委員会で、与党単独で採決・可決された教育基本法改正案。前国会と合わせ、審議時間は百時間を超えた。この間、与党側が主張するように「改正案の議論は尽くされた」のか。教育の憲法とも呼ばれる教育基本法の改正をめぐる審議を点検した。(政治部・篠ケ瀬祐司)


愛国心 『評価せず』にも不安
改正論議でもっとも議論が集中したのは、改正案二条に「我が国と郷土を愛する…態度を養う」と盛り込まれた「愛国心」条項。「戦前のように国家優先となり、基本的人権が制約されないか」「愛国心が評価の対象にならないか」という懸念があるからだ。
これに対し、安倍晋三首相は「(愛する対象に)統治機構は含まない」「内面に入り込んで評価することはない」と明言。伊吹文明文部科学相は「元寇(げんこう)や黒船にどう対応したかなどを教えることで伝統と文化を尊重し、国と郷土を愛する態度を養う」と説明。愛国心の押しつけはしないことを約束した。
それでも心配のタネは残る。国旗国歌法案の審議で、当時の野中広務官房長官が教育現場への強制を否定したが、東京都教育委員会国旗掲揚、国歌斉唱を強く指導。前国会の審議中には、愛国心をランク付けする通知表が採用されている実態が明らかになった。
「国会答弁が反故(ほご)にされる恐れがある」(社民党保坂展人衆院議員)との指摘を、杞憂(きゆう)と言い切れないのはそのためだ。


■現場指導 保守層には歓迎の声
教育の中立性の維持も焦点のひとつだ。
改正案一六条は「教育は、不当な支配に服することなく」と現行法を踏襲しながらも「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と続く。
審議を通じ、伊吹氏は「政令や学習指導要領は法律の一部」と説明しており、法律や政令を決める政治や行政によって恣意(しい)的な教育が行われる恐れがあるわけだ。
文科省の田中壮一郎生涯学習政策局長も「教育委員会等の命令や指導が、不当な支配ではないことが明確になったと考えている」と答弁。言い換えれば、文科省教育委員会を制御する法律的な裏付けがなくなるということだ。
東京地裁は今年九月、国歌斉唱などを求めた東京都教育委員会の通達や指導は、教育基本法違反だとの判決を下した。改正案成立後は、教育委員会の指導は「不当な支配」でなくなるだろう。
「改正で、今までの混乱が収まることを期待する」(自民党稲田朋美衆院議員)と保守層は歓迎する一方、「教育現場での締め付けが厳しくなる」(共産党穀田恵二国対委員長)と、上意下達強化につながることも間違いない。


■学力・規範 具体策示さないまま
子どもの学力向上は、国民的関心事。首相も「公教育の場で高い学力と規範意識を身につける条件を整備するのが、われわれの責任」と明言。官房長官時代から「モラルや学ぶ意欲が低下したとの指摘がある。公の精神、家庭の重要性や責任を踏まえた、二十一世紀にふさわしい教育基本法をつくるのが重要だ」と訴えてきた。
こうした「新しく付け加えるべき価値」を前文や条文内に盛り込んだ改正教育基本法が施行されれば、学力と規範意識向上にも寄与するという理屈だ。
ただ、改正案は理念をうたった基本法。首相も改正は「ただちに未履修やいじめ問題に対処するものではない」と党首討論で答え、具体的な施策については「教育再生会議でまとめてもらいたい」というだけ。改正が山積する教育問題の解決にどうつながるかは明らかになっていない。