鶴見俊輔さんと語る「国家を超え 生きる流儀」(朝日新聞2006年11月28日(火)朝刊)

鶴見俊輔さんと語る「国家を超え 生きる流儀」(朝日新聞2006年11月28日(火)朝刊)

戦乱と干ばつにさらされたアフガニスタンパキスタンの国境地帯から、日本やアジアはどう見えるのか。現地住民たちの命を支える活動に身を投じてきた日本人医師・中村哲さんをまねき、鶴見俊輔さんは、政治や宗教、民族を超えて人間を根っこで動かすものをさぐった。


アフガン周辺、民衆に国境はなく、ひと続きにつながっている(中村)
欧米は近代国家の型をイスラム圏に押しつけて誤解している(鶴見)



鶴見 01年、9・11同時多発テロが起き、テロ組織が存在するとして、米軍などがアフガニスタン攻撃を始めた。中村さんは、衆院テロ対策特別委員会で参考人として「自衛隊派遣は有害無益」と話されて、私は心を動かされた。
中村 ところが日本は、自衛隊を派遣して米国の手伝いをしており、アフガンでは今、反日感情が芽生えている。日本人であるがゆえに襲撃される危険が高まりつつある。
自衛隊は実質は軍隊だ。軍を派遣するということは、アフガンを敵国として攻撃するということだ。日本はインド洋での米艦艇への給油といった後方支援だけだというのは通らない。戦争は何でもないきっかけから始まるものだ。無用な敵をつくるのは有害無益だ。
アフガンは今、イラク以上に危うい状態だ。深刻な干ばつで、人々が次々に難民になっている。追いつめられた農民が反抗し、「対テロ戦争」をする米軍はもはや及び腰だ。アフガン政府も人々から信頼されるにはほど遠い。
鶴見 欧米の支配を巻き返そうとする力があるんだね。
中村 日本のような近代国家からは、イランやアフガン、パキスタンといった国があるように見えるが、これらはいわば擬似国家だ。民衆の間に国境はなく、ひと続きにつながって動いている。
アフガンから隣のパキスタンに逃れた難民は現在300万人。日本がこれだけの難民を受け入れられるだろうか。国境を超えた相互扶助や暗黙の合意がある。
アフガン人が敵味方に分かれて戦うときも、わざと的をはずして撃ち合うことがあると聞く。庶民のレベルでは、同じ釜の飯を食うアフガン人だという意識が強い。
鶴見 民族は国家ができる前から存在した。中国文学者の竹内好(1910〜77年)が北京に暮らして衝撃を受けるのが、国家機構と無関係に生きている中国民衆の存在だった。
そこから加々美光行・愛知大教授は「有根のナショナリズム」という考え方を引き出した。国家を超える、民衆に根っこのあるナショナリズムだ。国家をつくる力を持つかもしれないが、国家機構に支えられてはいないナショナリズムだ。イスラム圏にはそれがある。ところが欧米は、近代国家の型をイスラム圏に押しつけてみて誤解している。日本もそれを踏襲している。
日本にもかつて「有根のナショナリズム」があった。明治国家をつくっていった人たちの中にはそれがみられる。明治国家をつくった力が偉大なのであって、これを明治が偉大だとすりかえると問題がある。
中村 アフガン人は、アジア人という言葉を好んで使う。自分たち自身のやり方で生きてきたという誇りが根をおろしている。日本人もそうじゃないかという期待がアフガン人にはあるが、その期待を裏切るときは近いのではないか。寂しいことだ。
鶴見 日本の今の軍国主義回帰への高まりは、その不安の表れですね。


戦争しないと成り立たぬ社会は長続きしない(中村)


中村 アフガニスタンで私たちが主にしているのは医療活動、00年の大干ばつを機に始めた井戸堀り・農業用水路の建設、乾燥に強い作物の研究・普及だ。全長13キロの用水路は11キロが完成した。職員、作業員は合わせて千人弱。日本人は常時約20人いて、20代が多い。
「青い鳥」を求めてくる子、日本の社会になじめない子などいろいろだが、志を立ててくる人は挫折することがまれではない。興味本位で来た子が、用水路が完成して砂漠が緑になり、何千人、何万人が助かるのを見て、うれしい、この仕事をしてよかったと素直に言う。
鶴見 国籍を問わず、人間にかえるんだね。
中村 農業、土木作業はかつての日本人なら誰でもできたが、若い子はシャベルを持つのも初めてで、穴堀りから練習しなさいと言って現湯で鍛える。アフガン人は、ほとんどが農民で、子どもも小さいときから大人と一緒に農作業をしているから、共有の文化として身に付いている。
用水路づくりの参考にしたのが日本の伝統的な農業土木技術だ。針金で編んだかごに石を詰めた蛇籠(じゃかご)をアフガンの用水路の護岸に使っている。これなら現地の人が補修・維持でき、経済的でもある。
アフガンで使えるものを求め、日本の中世から江戸時代にかけての水利施設を見て歩いた。郷土史を調べると、その素晴らしさはたたえていても、どうやってつくったかはあまり書いていない。当時はわざわざ記載する必要がないくらい、だれもが身につけた当たり前の技術があったのだろう。
鶴見 最初に活字になった私の著作は、戦時中、ジャワで、軍施設を擬装するのに役立つ植物について書いたパンフレットだった。植物園で話を聞いてまとめ、種、苗木と一緒に太平洋の島々に散在する海軍の部隊に送ったら、とても役に立ったと喜ばれた。日本兵士は農家出身が多かったから、ちゃんと育てる技能を共有していたんだ。
中村 根っこのあるナショナリズムもそれに近い何かがあるんでしょう。意識せずに人が共有できる何かが。
鶴見 大切なのはマニュアルではなく、自分の身についた行為である「しぐさ」「作法」を共有し、伝承することだ。大岡昇平(09〜88年)の小説「俘虜記」の主人公の日本軍兵士は米兵を見たが、撃たないと決めた。兵士の作法としては間違いだが、人間の作法に戻っている。「人を殺さない」というしぐさはずっと続く。そこに戻らないと今の状況は抜けられない。
もし日本の国としての民主主義が崩れることがあっても、小さな、数十人の集団の中だけでも民主主義を守り続けたい。最後まで妥協せず、民主主義を維持する。そういうしぐさの人間として生きる。
中村 「殺さない」ということの一つの結実が憲法9条だ。9条を壊すことは日本の良心を壊すことになる。
戦争を次々にしないと成り立たないような、自然を相手に汗水たらして働く人が損をするような社会は長続きしない。いつか崩れるだろう。
ただ、現地でたくましくなっていく日本の若者をみていると、再生能力は引き継がれていくと思う。お天道様に恥じず、まっとうに生きていれば破局を怖がることはない。平和とは、繁栄や安全を生み出す積極的な力である。私たちはもっと自信を持つべきだ。