■教科書検定に抗議する声明を発表(岩波書店)

文部科学省が2007年3月30日に公表した2006年度の教科書検定において、沖縄戦時(1945年)に発生した住民の「集団自決」について、「日本軍に強制された」という内容を修正させたことが明らかになりました。
その修正の大きな理由として、小社および大江健三郎氏が被告となっている“沖縄「集団自決」裁判”が挙げられていたことに対し、4月4日、文部科学省記者クラブにおいて、小社および大江健三郎氏と被告弁護団は連名で文部科学大臣に抗議する声明を発表しました。
以下はその全文です。
なお、“沖縄「集団自決」裁判”についての詳細は、被告弁護団による「コメント」をご覧ください。

 2007年4月6日

株式会社 岩波書店


沖縄「集団自決」に関わる06年度教科書検定に抗議する


文部科学省が3月30日に公表した06年度の教科書検定で、沖縄戦において発生した「集団自決」について、「日本軍に強制された」という内容を修正させたことが明らかになった。
その理由のひとつとして、05年に、沖縄戦座間味島守備隊長であった梅沢裕および渡嘉敷島守備隊長であった故赤松嘉次の遺族によって、岩波書店及び大江健三郎名誉毀損で訴えられていること、その中で原告が隊長命令はなかったと主張していることが挙げられている。また、「文科省が参考にした集団自決に関する主な著作等」の中には「沖縄集団自決冤罪訴訟」という項目がある(この「冤罪訴訟」という言葉は原告側の支援者の呼び方であり、中立・公正であるべき行政の姿勢を著しく逸脱するものである)。
しかし、

  1. 訴訟は現在大阪地裁において継続中であり、証人の尋問さえ行なわれておらず、
  2. 岩波書店及び大江健三郎は、座間味島及び渡嘉敷島における「集団自決」において、①「軍(隊長)の命令」があったことは多数の文献によって示されている、② 当時の第32軍は「軍官民共生共死」方針をとり、住民の多くを戦争に動員し、捕虜になることを許さず、あらかじめ手榴弾を渡し、「いざとなれば自決せよ」などと指示していた、つまり慶良間諸島における「集団自決」は日本軍の指示や強制によってなされた、として全面的に争っており、さらに、
  3. 「集団自決」をした住民たちが「軍(隊長)の命令があった」と認識していたことは、原告側も認めている。

文部科学省が「集団自決」裁判を参照するのであれば、被告の主張・立証をも検討するのが当然であるところ、原告側の主張のみを取り上げて教科書の記述を修正させる理由としたことは、誠に遺憾であり、強く抗議するものである。

 2007年4月4日

           (株)岩波書店

           大江健三郎

           沖縄「集団自決」訴訟被告弁護団

文部科学大臣

 伊吹文明殿





コメント

2007年4月4日

沖縄「集団自決」訴訟被告弁護団


  1. 文部科学省は、2006年度教科書検定において、沖縄戦において発生した「集団自決」について、「日本軍に強制された」「日本軍によって追い込まれた」などの記述を修正させた。
     しかし、昭和20年3月に米軍が沖縄の慶良間諸島に上陸した際に発生した住民の「集団自決」が日本軍の指示・命令によって発生したこと、住民が日本軍によって自決に追い込まれたことは明らかであり、これを裏付ける多くの証拠資料が、梅澤元隊長らが岩波書店及び大江健三郎氏を被告として訴えた沖縄「集団自決」訴訟において法廷に提出されている。

  2. 沖縄戦において日本軍は、「軍官民共生共死の一体化」なる方針の下に、軍官民一体の総動員作戦を展開していたもので、慶良間諸島座間味島渡嘉敷島慶留間島の日本軍は、米軍が上陸した場合には村民とともに玉砕する方針を採っており、秘密保持のため、村民に対しても米軍の捕虜となることを禁じ、米軍の捕虜となった場合は女は強姦され、男は八つ裂きにされて殺されるなどと脅し、いざというときは玉砕(自決)するよう言い渡していたものである。また、軍は、米軍が上陸してくることを認識しながら、住民を他に避難させたり投降させるなどの住民の生命を保護する措置をまったく講じていなかったが、このことは、軍が住民を玉砕させることにしていたからにほかならない。

    1. 座間味島では、1942年(昭和17年)1月から太平洋戦争開始記念日である毎月8日の「大詔奉戴日」に、忠魂碑前に村民が集められ、「君が代」を歌い、開戦の詔勅を読み上げ、戦死者の英霊を讃える儀式を行ったが、海上挺進第一戦隊(梅澤隊長)と海上挺進基地第一大隊(小沢隊長)が駐留することになった 1944年(昭和19年)9月10日以降は、村民は「大詔奉戴日」に日本軍や村の有力者らから戦時下の日本国民としての「あるべき心得」を教えられ、「鬼畜である米兵に捕まると、女は強姦され、男は八つ裂きにされて殺される。その前に玉砕すべし」と指示されていた(「母の遺したもの」97〜98頁、161 頁以下)。また、上記駐留開始直後、小沢隊長は座間味島の浜辺に島の青年団を集合させ、米軍が上陸したら耳や鼻を切られるなどの虐待をされ、女は乱暴されるから自決するよう指示していた(住民の陳述書)。
       また、座間味島では、1945年(昭和20年)3月25日の夜に、米軍の上陸を目前にして、米軍の艦砲射撃のなか、助役(防衛隊長・兵事主任)の指示により、防衛隊員が伝令として、玉砕(自決)のため忠魂碑前に集合するよう村民に伝達して回り、その結果集団自決に至ったものであるが、上記のとおり、軍は、軍官民共生共死の一体化の方針のもと、いざというときは玉砕するようあらかじめ村民に指示していたもので、助役(軍の部隊である防衛隊の隊長・兵事主任)は、この軍の指示を受けて、自決命令が出たことを防衛隊員から村民に伝えさせ、自決のため集合させたものであり、この自決命令は軍の命令にほかならない。村民たちが軍の自決命令が出たと認識していたことも住民の証言から明らかであり、このことは上記訴訟において原告梅澤元隊長も認めている。
       また、自決のため村民に手榴弾が渡されているが、手榴弾は貴重な武器であり、軍(隊長)の承認なしに村民に渡されることはないと考えられ、実際にも、手榴弾は防衛隊員その他の兵士から渡されている。
       また、「明日は上陸だから民間人を生かしておくわけにはいかない。いざとなったらこれで死になさい」と兵士が村民に手榴弾を渡したこと、「途中で万一のことがあった場合は、日本女性として立派な死に方をやりなさい」と言って軍曹が村民に手榴弾を渡していること、「もし米軍が上陸してきたらこの剣で敵の首を斬ってから死ぬように」と兵士が村民に剣を渡していたこと、などの住民手記に記載された事実は、軍が村民を玉砕させる方針であったことを示すものである。

    2. 渡嘉敷島においては、米軍が上陸する直前の1945年(昭和20年)3月20日、守備隊(海上挺進第三戦隊・赤松隊長)からの伝令が、兵事主任に対し渡嘉敷部落の住民を役場に集めるように命令し、兵事主任が軍の指示に従って17歳未満の少年と役場職員を役場の前庭に集めると、兵器軍曹と呼ばれていた下士官が、集まった20数名の者に手榴弾を2個ずつ配り、「米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は必至である。敵に遭遇したら1発は敵に投げ、捕虜になるおそれのあるときは、残りの1発で自決せよ」と訓示し、あらかじめ軍(隊長)による自決命令がなされた(「渡嘉敷村史」など)。
       また、米軍が渡嘉敷島に上陸した3月27日には、赤松隊長から兵事主任に対し、「住民を軍の西山陣地近くに集結させよ」という命令が伝えられ、安里喜順巡査らにより、集結命令が住民に伝えられ、住民が同命令に従って、各々の避難場所を出て軍の西山陣地近くに集まると、翌3月28日、村の指導者を通じて住民に軍の自決命令が出たと伝えられ、軍の正規兵である防衛隊員が手榴弾を持ち込んで住民に配り、集団自決がおこなわれた(「沖縄県史」10巻、「渡嘉敷村史」など)。
       このように、渡嘉敷島においても、住民に対して、軍から手榴弾が配布され、これを使って自決せよとの命令があったということは、明らかである。

    3. 慶留間島においては、海上挺進戦隊第二大隊の野田隊長が、1945年(昭和20年)2月8日の「大詔奉戴日」に、住民に対し、米軍が上陸した際には玉砕するよう訓示をしており、同島でも米軍上陸時に住民の「集団自決」が発生している(「座間味村史」上巻357頁、「沖縄県史」10巻730頁)。

  3. 以上のとおり、慶良間諸島座間味島渡嘉敷島慶留間島で発生した集団自決は島に駐留し島を支配していた日本軍の指示・命令によるものであったことは明らかであり、「日本軍に強制された」「日本軍によって追い込まれた」などの教科書の記述に誤りはなく、今回の文部科学省の検定は、真実を無視した、根拠のないものといわざるを得ない。

  4. 文部科学省は、 検定の理由として、上記沖縄「集団自決」訴訟において、原告の梅澤元隊長が、自分は「集団自決」を命令した事実はないと主張していることを挙げているとのことである。
     しかし、これは同原告の主張にすぎず、裁判所がその主張が正しいと判断したものではない。また、梅澤元隊長は、以前から自決命令を否定する発言を行っていたものであり、今回新たな事実が明らかになったものでもない。また、仮に、同原告が自決命令を発したことが具体的に確認できないとしても、「集団自決」が日本軍の指示や強制によってなされたものであること、軍によって「集団自決」に追い込まれたことが真実であることは、上記のとおり、多くの資料によって明らかである。
     文部科学省が、今回の検定の根拠として沖縄「集団自決」訴訟の原告の主張をあげていることには驚きを禁じえない。本件訴訟における原告の主張を検討資料とするのであれば、被告の主張及び立証についてもこれを検討資料とするのでなければ、公正な態度とはいえないし、訴訟の帰趨を待って、判断するのが当然である(文部科学省が本件訴訟を「沖縄集団自決冤罪訴訟」と、原告側の呼称を用いていることも、中立・公正であるべき行政の姿勢をはなはだしく逸脱しており、極めて遺憾である)。



被告弁護団は、本件訴訟において、裁判所が、判決において、慶良間諸島での「集団自決」が、日本軍の指示や強制によってなされたものであること、住民は軍によって「集団自決」に追い込まれたことをはっきりと示すことになると確信している。


(なお、大江健三郎著『沖縄ノート』は、座間味島の守備隊長の自決命令については一切言及していない。渡嘉敷島の守備隊長については、匿名としつつ、新聞が集団自決を強制したと記憶されている守備隊長が慰霊祭に出席するため沖縄に赴いたことを報じたことについて、一定の感想を述べたものにすぎない。したがって、原告梅澤氏の名誉を毀損するものではなく、赤松元隊長の遺族の故人に対する敬愛追慕の情を侵害するものでもない。)

以上