三宅島公道レース顛末

三宅島:オートバイ公道レースを断念 安全確保難しく(MSN-Mainichi INTERACTIVE 2007年4月27日(金))

三宅島(東京都三宅村)で00年の噴火災害の復興策として11月に予定されているオートバイレース大会で、公道開催ができない見通しとなった。石原慎太郎知事が提唱し、国内初の公道を使用したオートバイレースとして注目を集めたが、ライダーや関係者の安全確保が問題となり、今年は断念する方向となった。都営三宅島空港の滑走路を活用するなど大幅な変更が検討されている。
昨年末にまとまった基本案では、大会は11月9〜11日に開かれ、125CC以下のオートバイが島を1周する都道(延長30.4キロ)でタイムを競い合うレースが目玉だった。事業費は村が3億円、都が3億4000万円をそれぞれ負担する。
しかし、公道レースを巡っては、プロのライダーから「安全管理上、不可能」との反対意見が寄せられたほか、二輪車メーカーも「安全確保が極めて難しい」(ホンダ広報部)などと消極姿勢を示していた。都は空港でのタイムトライアルや障害物を乗り越える競技に計画を見直し、村など関係機関と調整に入っている。【木村健二】



三宅島1周レース断念 都、滑走路の利用など検討(asahi.com 2007年4月27日(金))

東京都の石原慎太郎知事の肝いりで11月に三宅島で実施されるオートバイレースについて、都は「島を1周する公道(約30キロ)でスピードを競う」との当初構想を断念した。二輪メーカー各社が指摘した「参加者や観客を巻き込みかねない」という安全性の問題を解決できなかったためだ。都は村道を拡幅するなどして短いコース(約3キロ)を新設したり、閉鎖中の三宅島空港の滑走路を利用したりといった代替案を検討する。
レースは、00年の火山噴火で打撃を受けた島の観光振興策として、石原知事が05年に構想を発表。公道を利用する世界最古の歴史を持つ英領マン島のレースをモデルに「国内初の公道レース」を目指していた。
都は「メーカーの協力は不可欠」として二輪大手4社と協議を進めていたが、「公道でスピードを競うのは危険すぎる」との意見が続出した。
都はカーブに速度制限を設けるなどの妥協案も模索したが、最大手のホンダは「一部分でも公道が含まれるレースには協力できない」との姿勢を崩さなかった。
石原知事は26日、都庁を訪れた平野祐康・三宅村長らと、6月に自転車レースを実施する都道(約2.5キロ)に、拡幅した村道を加えた約3キロのコースで開催できないか意見交換した。
都はこのほか、閉鎖中の空港滑走路を使った直線のタイムレース▽島の斜面に障害物を設けたオフロード競技▽公道ではタイムを競わず、ツーリングのようなイベントにする――といった内容を軸に代替案を検討中。
だが、短いコースも公道を使うため、ホンダは反対姿勢を崩していない。メーカーの協力がなければ、有名ライダーの参加は見込めない。
平野村長は「村の財政は脆弱(ぜいじゃく)なので、メーカーの協力がないと開催できない。ただ、レースではなくイベント性が強いものになると、観光効果も減ってしまうのではないか」と話している。



石原氏発案疑問の声、三宅島レースも争点 <東京をどうする 都知事選4・8投開票>(日刊スポーツ 2007年3月27日(火))

避難指示解除から2年が経過した三宅島。観光復興の起爆剤として石原慎太郎氏がトップダウンで発案したのが、日本初の全コース公道を使用したオートバイレースだ。11月開催予定だが、コースとなる周回道路を下見した元レーサーが「開催はあり得ない」「絶対中止すべき」と危険性を指摘するなど2輪レース関係者からは疑問の声が噴出している。都知事選でも1つの争点となりそうだ。
三宅島の周回道路を使用した、日本初の全コース公道使用のバイクレースは、05年2月の避難指示解除前の会見で、石原氏が発表した。念頭にあったのは今年で100周年の歴史を持つマン島の「マン島TT(ツーリスト・トロフィー)」。石原氏は昨年5月、三宅村の平野祐康村長らとマン島TTを視察。総額6億4000万円の計画は動きだした。
都は事前調査として、日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)に試走を委託。MFJの依頼で複数のライダーが試走した。しかし、その1人、元WGP(ロードレース世界選手権)レーサー難波恭司氏(44)は「試走後、あり得ないという気持ちが強まった。賛同できない」と結論付けた。4回試走した元全米選手権(AMA)王者の宮城光氏(44)も「絶対に開催すべきでない。開催するにはサーキットの建設しかない」と話す。
難波氏と宮城氏が指摘するのは(1)道路が幅6〜7メートルと狭く、緩衝材を置けば、幅は5メートル程度になり、安全地帯がつくれない(2)転倒したライダーは安全地帯での減速なしに緩衝材に激突する(3)コースにはね返されたライダーと後続車との重大事故の危険、などだ。安全対策に年間数億円かけるサーキットでさえ、緩衝材に激突したライダーが死亡する事故は何度も起きている。公道ではその危険はさらに高まる。
宮城氏はMFJから「どうすれば開催できるか」と、実施前提の調査を依頼され、試走に参加した。当初は実施を目指し、安全対策を考えた。しかし、2回目以降は対策の限界を感じ、サーキット建設案を提案。4回走る間に「公道では対策を超えた危険が容易に想像できる。公道レースは無理だ」と関係者に伝えた。
しかし、MFJは都に「実施は可能」と報告。都は昨年12月、実施基本案を発表した。宮城氏は今年1月、MFJに対し「き然とした態度でダメと言えないのか」とただしたが、MFJは「都がやると言ったら、やるしかないんだよ」と話したという。難波氏も試走時、関係者に「本当にやるつもりか」と何度もただしたが「『今そんな話をしている場合ではない』と話を止められた」という。
マン島TT史上ただ1人の日本人優勝者で元スズキワークスチーム監督の伊藤光男氏(70)も「いきなり公道レースは乱暴すぎる」と開催に苦言を呈する。都にOKサインを出したMFJに対しても「なぜ都にダメと言えないのか。素人しかいないのか」と首をひねる。本田技研も、三宅島から総合病院までヘリで40分という救急救命態勢の限界などを指摘。「公道レースは望ましくない」「全国の公道での競走を助長する」と反対している。
村の商工関係者でつくる三宅島オートバイレース実行委員会は、安全対策の徹底を村と都に再確認した上で復興の起爆剤としての夢を託している。しかし、三宅村のスタッフの一部にも「知事発案で断りづらいが、危険じゃないか」との声も上がっているという。
発案者の石原氏に対し、吉田万三氏は開催反対を表明。黒川紀章氏は復興イベントには賛成の立場。浅野史郎氏はレースの是非には触れていない。