上田清司知事の平和資料館、慰安婦に関する発言など

知事記者会見テキスト版 - 平成19年7月24日(火)「平和資料館運営協議会について」(埼玉県)

埼玉新聞
昨日ですね、県の平和資料館のほうで、運営協議会が今年度初のありまして、その中で資料館側のほうからですね、年表の従軍慰安婦について、言葉を慰安婦にするという見直し案が提示されたんですけども、それに関して知事はどういうふうに思いますか。


上田清司知事
今日の新聞で知ったぐらいですから、どうもこうもないですね。とりあえず、運営協議会の意見を集約して、平和資料館としての考え方をまとめてくると、そういう報告を待つだけですので、今の時点では。


埼玉新聞
協議会の中では、県のそういう慰安婦が良いんじゃないかという提案に対して、委員さんのほうから、年表は1991年次に従軍慰安婦論議が多発したという、1990年代の話なんでどうせだったら、従軍慰安婦って使っちゃったほうが良いんじゃないかっていう提案もあったんですけれども、どうでしょうかね。どっちの案がより知事の考え方、、


上田清司知事
アメリカの決議案も慰安婦ですからね、従軍慰安婦というのは造語ですから。昭和43年に出来たですね。一般的には使わない言葉だと思っています。私自身はそう思います。ただ、どんなふうに協議会で議論されて館が集約するかは見守っていきたいと思っています。


埼玉新聞
あと、協議会のほうからもう一つ、具体的な表記の仕方についての方針みたいなものがでたんですけれども、これ慰安婦のこともそうなんですが、オリジナルの用例を使ったほうが良いというような方針が出たんですよ。それで、慰安婦というのは、先程もおっしゃったみたいに43年頃出来た造語なんで、ああ、ごめんなさい。従軍慰安婦というのは43年頃出来たんで、オリジナルは慰安婦がっていう考え方のようなんですけれども、オリジナルの用語を使うという考え方に関していうはどうでしょうか。


上田清司知事
今、運営協議会でそういう議論されてるんで、事務方の平和資料館の館長を中心にしたですね、まとめを今途中であんまり最高責任者である私が、ああだこうだと言わないほうが良いんじゃないでしょうか。しっかり、運営協議会の議論を踏まえてまとめていただくと。


共同通信
知事が資料館の存在意義というかですね、、


上田清司知事
えっ。


共同通信
資料館のある意味とですね、展示においてあるべき視点、必要な視点というのはどんなふうにお考えなのか。


上田清司知事
ごめんなさい。後段が小さいんで声が。


共同通信
展示において必要な視点。館がですね、持つべき視点というのはどんなものがあるのか。知事としての見解をお聞きしたいのですが。


上田清司知事
平和資料館が出来た時の目的というのがはっきりありますから、その目的のとおりやれば良いと。平和を構築する日本にあるべきだということで、そして埼玉県としてもそういう活動について努力をすると。そういう意味付けが多分、平和資料館の設立の時にあるはずですから、当然そういう視点があるべきでないでしょうか。



平成18年度に寄せられた提言の紹介「いわゆる従軍慰安婦問題について(知事の考え)」(埼玉県)

平成18年6月の埼玉県議会定例会における、いわゆる従軍慰安婦問題に関する私の答弁について、様々なご意見をいただいています。
ここで、改めて私の発言について説明させていただきたいと思います。
慰安婦と呼ばれる方々は、筆舌に尽くしがたいほどのつらい体験、絶望的な日々を送られたことと思います。
耐え難い思いをされた女性の方々の心情を思い、あらためて深い憤りと悲しみを感じざるを得ません。
女性の尊厳を踏みにじるこのようなことが、二度とあってはならないと強く思います。
答弁では、「慰安婦はいたが、従軍慰安婦はいなかった。」と簡潔に申し上げました。
私は、慰安婦従軍慰安婦との違いは、軍として女性を徴用したかどうかにあると考えています。
ところが、軍として女性を徴用したことを立証する証拠は、政府の詳細な調査によっても、一切見つかっていないのです。
このことは、当時の内閣官房長官であった河野洋平氏も認めているところです。
慰安婦はいた。慰安所もあった。軍が何らかの形で関わったこともあった。しかし、従軍慰安婦、すなわち軍に強制的に徴用された女性がいたという証拠はないのです。
しかし、政府は平成5年8月4日の「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」において、強制連行を事実上認めた政府見解を示しています。
証拠がないにも関わらずこのような談話が出された背景には、外交上の思惑が隠されていると思われます。
すなわち、歴史問題に関する当時の日韓両国の緊張関係の中で、事実関係の解明よりも、まずは女性たちの名誉回復を図ることで、両国間の関係を改善したいという思惑です。
その経緯については、当時の官房長官であった加藤紘一河野洋平の両氏、そして内閣官房副長官として歴代内閣を支えた石原信雄氏の証言をもとに、櫻井よしこさんが文藝春秋(1997年4月号)に詳細にまとめられています。
そのなかで石原氏は、こう証言されています。

「私共は資料があるといえばどこにでも飛んでいって調査しました。各省庁に資料提出を求め、その他にも国立国会図書館アメリカの公文書館、様々な研究機関も、八方手を尽くしました。警察関係の各所にも求めました。けれども、韓国側が気にしている強制的に徴用したというのが、文書ではどうしてもないわけですよ。」
「当時、彼女たちの名誉が回復されるという事で強制性を認めたんです。」
(櫻井「強制性はいわば善意で認めたのですか?」)
「そうです。両国関係に配慮してそうしたわけです。」

また河野氏は、平成9年3月31日の朝日新聞のインタビューの中で、「政府が聞き取り調査をした軍人、軍属の中にも強制連行があった、と証言した人はいたのですか?」との質問にこう答えています。
「直接強制連行の話はなかった。しかし、総合的に考えると、『文書や軍人・軍属の証言がなかった。だから強制連行はなかった。集まった人はみな公娼だった。』というのは、正しい論理の展開ではないと思う。
ここでいう正しい論理とは、一体何なのでしょうか。
傷害事件が起きたとしましょう。犯人らしき人が捕まった。証拠は一切ない。この論理では、被害を受けた人々の心を慰めるために、犯人らしき人を犯人にするようなものだと思います。
外交は生き物です。様々な交渉や妥協が必要なことは認めます。
しかし、日本国民の名誉に関わることに関するこの問題に関しては、断固として筋を貫くべきであったと私は考えます。
後世の日本政府が証拠もないままに、日本軍は強制的に徴用した、いわゆる従軍慰安婦を同行させながら戦っていたと認めた今の状態が続くとなると、祖国や家族を守るために命をかけて戦った英霊はうかばれない、英霊の家族にしても耐えられないと私は思います。
繰り返しになりますが、慰安婦はいた。慰安所もあった。しかし、軍が徴用した従軍慰安婦がいたという証拠はないのです。
証拠もないのに安易に「従軍」慰安婦という言葉を使うことは慎むべきなのではないかということを、私は訴えたいのです。