各紙の社説

社説:首相退陣表明 またも無責任な政権投げ出し 選挙管理内閣で直ちに解散を(毎日新聞 2008年9月2日(火))

あまりに唐突な政権の投げ出し劇である。福田康夫首相が1日夜、緊急記者会見し、退陣を表明した。12日から始まる臨時国会を前に退陣することについて首相は「新しい布陣のもとに政策の実現を図る」などと理由を述べたが、そのまま受け入れるわけには到底いかない。無責任政治はここに極まった。
国会で所信表明演説を終えた直後の昨年9月12日、辞任表明した安倍晋三前首相を思い出した人も多いだろう。日本の首相は、米国やロシア、中国などの大統領や国家主席を相手にしているのだ。2代続けて、このように短期間で、政権を放り出すのは異常事態であり、国益を損ねる行為でもある。果たして、今の自民党政権担当能力があるのだろうかと疑う。
自民党では早急に党総裁選を行う方針で、後継には麻生太郎幹事長が有力視されている。しかし、安倍前首相、福田首相ともに、そもそも首相就任後、衆院選有権者の審判を受けずにきたことが、自信を持って政権運営できなかった大きな要因だったのだ。
直ちに衆院を解散し、総選挙を行って有権者の審判を仰ぐべきである。新首相が決まったとしても、その内閣は、もはや選挙管理内閣と見なすべきだ。
◇つまずきは大連立
それにしてもだ。なぜ、この時期なのか。
福田首相は会見で「だれも手をつけなかった国民の目線の改革に手をつけた」などと胸を張り、「私は自分のことを客観的に見ることができる」と開き直りもした。そのうえで、臨時国会を前に「新しい布陣のもとで政策の実現を図るため」、そして「政治空白を作らないため」に退陣するのだと語った。
だが、福田首相が退陣しても、参院で野党が過半数を占めている状況は変わらない。新たに自民党の首相が誕生しても、政府・与党の思い通りになるような政権運営は困難である。
福田首相は会見で「安倍前首相は病気だった」と、安倍退陣との違いを述べたが、これもまったく説得力を欠く。国会開会直後であろうが、直前であろうが、責任放棄であることには変わりはないからだ。
要するに、野党が参院過半数を占める「ねじれ国会」を理由に、政権運営が思うようにならないから、投げ出したということだろう。そして、福田内閣の支持率が低迷し続け、自民、公明両党内にも「福田首相の下では衆院選は戦えない」との声が次第に強まる中で、それに抗する気力も熱意もなかったというのが実相であろう。
福田内閣参院選惨敗に伴う与野党「ねじれ国会」に直面した安倍前首相の退陣を受け、昨年9月に発足した。最初の組閣では安倍内閣の閣僚を大幅に引き継ぎ、自ら「背水の陣内閣」と称し、野党が攻勢を強める中、自公政権の立て直しを目指した。政権発足後ほどなく民主党小沢一郎代表との党首会談を通じ同党と「大連立」を模索したが、失敗した。
若い安倍前首相の後継として期待されたのは、落ち着きのある、地道な政治だったはずだ。振り返れば、「大連立」という奇策に安易に走ろうとしたところがつまずきの始まりだったのではないか。
失敗を機に、まず大きな懸案だった、インド洋で海上自衛隊による給油活動を継続する新テロ対策特別措置法は衆院で57年ぶりの再可決で成立させるなど苦しい対応を余儀なくされた。
さらに行き詰まりを感じさせたのは、今年の通常国会の攻防からだ。参院の同意が必要な日銀正副総裁人事で民主党の同調が得られず、総裁候補の武藤敏郎氏らの人事案がたて続けに否決される混乱を生んだ。
◇成果も乏しく
4月にはガソリン税暫定税率が期限切れ。道路問題でさらに2度の衆院再可決で関連法を成立させるという際どさだった。もたつきの中で政権発足時は57%あった内閣支持率も今年5月に18%にまで落ちこみ、衆院山口補選で自民候補が敗北するなど、次期衆院選で首相を「顔」として戦うことを不安視する見方が与党に広がった。
8月の内閣改造で麻生氏を幹事長に起用し態勢立て直しを目指した。だが、新テロ法の期限延長に慎重姿勢を示す公明党との間で、次期国会の日程をめぐる調整が難航。民主党が早期解散を求め、公明党も年内・年明け解散に軸足を始める中、国会の乗り切りが危ぶまれていたのは確かだ。
首相独自の政策としては消費者庁の設置や道路特定財源一般財源化などを打ち出したが、局面打開に至らなかった。「改革に手をつけた」とも言えない1年だったというほかない。
重ねて指摘しておく。そもそも今、衆院で3分の2以上を占める与党勢力は、05年9月、小泉政権の下での郵政選挙でもたらされたものだ。この「遺産」といえる勢力で国会運営を進めるのは、とっくに限界だったということだ。それを今回は改めて示した。
国民に責任を感じるとすれば、直ちに衆院解散・総選挙に踏み切ること以外、与党には道はなかろう。



福田首相辞任―早期解散で政治の無理正せ(朝日新聞 2008年9月2日(火))

あまりにも唐突に、福田首相が辞任を表明した。
安倍前首相の突然の政権放り出しから、わずか1年足らず。自民党の首相が2代続けて自ら政権を投げ出すことになる。極めて異常、無責任としか言いようがない。野党第1党に政権を引き渡せという声が出ても不思議はない。それほどの事態だ。
いま辞任すればそんな批判を浴びせられるであろうことは、首相も十分わかっていたはずだ。それなのになぜ、こんな決断を下したのか。
■またも政権の投げ出し
首相は記者会見で「先の国会では民主党が駆け引きで審議引き延ばしや審議拒否をした。何を決めるにもとにかく時間がかかった」と、参院の多数を握る民主党への非難を繰り返した。
そのうえで「この際、新しい布陣の下で政策の実現を図っていかねばならない」と、辞任の理由を語った。
この1年間の国会運営が難しいものだったことは確かだ。自分の手では、もはや政治を前に進めることはできない。政権の「顔」を変えるしか、手だてはあるまい。首相の言葉からは、そんなやむにやまれぬ思いが伝わってくる。つまりは、政権運営に行き詰まったということだ。
首相が政権を引き継いだのは、昨夏の参院選自民党が大敗した直後のことだ。衆参の多数派が逆転した「ねじれ国会」の運営は、だれが首相になっても難渋しただろう。
それを打開しようと、首相が乾坤一擲(けんこんいってき)、仕掛けた切り札は小沢民主党代表と語らっての「大連立」構想だった。だが、これが民主党内の反発で夢と散った後、首相はほかに打つべき手を思いつけなかった。
早期解散・総選挙に狙いを絞った小沢民主党は、インド洋での給油支援継続のための特措法案、ガソリン暫定税率の期限切れなどで福田政権との徹底的な対決路線にかじを切る。
■積もり積もった矛盾
首相は衆院の3分の2を超える与党の多数を生かし、3度も再可決を繰り返してなんとかこの危機をしのいだ。
だが、再可決には、衆院を通過してから60日間もの日数がかかる。内閣支持率がじりじりと低下を続けたのは、この手法の限界を物語るものでもあったろう。遅々として進まない政治への世論のいらだちが表れていた。
小泉時代に獲得した衆院での圧倒的多数が国会運営での柔軟さを失わせ、衆院解散で政局の行き詰まりを打開する道を封じることになったのは皮肉なことだった。
ちょうど1カ月前、首相は内閣改造でようやく自前の布陣を整えた。秋の臨時国会で自らの政策課題を実現させようと意気込んでいたはずだ。
なのに、ここへきて首相が急に辞任を決断したのは、補給支援特措法の延長や消費者庁創設などに成立のめどがたたなくなったからだ。「平和協力国家」と「安心実現政権」を掲げる首相にとって、これらが頓挫すれば政権そのものが意味を失いかねない。
決定的だったのは、与党である公明党からの思わぬ攻勢だった。
来夏の東京都議選をにらんで早期解散に目を向ける公明党は、衆院再可決に待ったをかけた。世論の反発を買うという理由からだった。
さらに、物価高や景気減速を受けた総合経済対策では、予算のばらまきにつながるとして渋る首相を押し切って定額減税を受け入れさせた。
公明党の協力がない限り、衆院の再可決の道は閉ざされる。選挙になれば創価学会の支援なしには自民党の勝利はまったくおぼつかない。そんな事情が自民党内にも影響し、首相への大きな圧力になったのは間違いない。
財政と安全保障の両面で政策の方向性を定められない。そんな福田政権のひ弱さがあらわになった。
民主党、世論、そして公明党。首相を取り巻くこの包囲網が、首相のやる気を失わせたのは想像に難くない。
■政権の正統性回復を
首相には、打開の道もあったはずである。首相の座についてから最初の予算案を編成したあと、今年1月にも衆院の解散・総選挙に打って出て、政権の正統性を取り戻すことにほかならなかった。
小泉政権時代の郵政総選挙から3年。安倍、福田と政権がたらい回しされたのに、政権選択を問う衆院選は一度も行われていない。参院選では与党が惨敗した。
衆院では自民、参院では民主と、多数派が異なる中で、政策の方向がなかなか決まらないのは構造的なものだ。自民党のだれが首相になろうと、政権運営は早晩、行き詰まらざるをえない。その根本的な矛盾がある限り、世論の支持も上がらない。
自民党総裁選を経て選ばれる新首相の使命は、できるだけ早く衆院を解散し、国民の審判を受けることだ。それなしに、まともで力強い政権運営をすることはできない。
政治がいま迫られているのは、社会保障の立て直しと財政の再建を両立させる方法を国民に示すことだ。さらに、効果的な景気対策をどう講じるかという難題も重なっている。
場合によっては、国民に痛みを強いる選択も避けられまい。民意を体した正統性のある政権を一日も早く日本に取り戻さなければならない。



社説:福田首相退陣 政策遂行へ強力な体制を作れ(読売新聞 2008年9月2日(火))

日本の最高リーダーが、またも、突然、政権の座から降りた。異常な事態である。
自民党は、新たな総裁を早期に選び、後継首相の下、政治空白を最小限にとどめなければならない。
福田首相が1日夜、緊急の記者会見を行い、辞任を表明した。
首相は、1か月前に内閣改造を断行し、この体制で臨時国会に立ち向かう決意を強調していた。首相は、先週末に辞任を決意したとし、その理由について「新しい布陣の下、政策の実現を図っていかなければならない」と語った。
◆ねじれ国会に苦慮◆
1年前の9月12日、安倍前首相が健康上の理由もあって、突如辞意を表明した。昨年夏の参院選自民党が惨敗し、衆参ねじれ国会が出現した。これが前首相辞任の大きな引き金になった。
福田首相も、今年の通常国会民主党の審議引き延ばし戦術に苦しみ、政策遂行に難渋した。
揮発油税暫定税率を維持するための税制関連法案の成立がずれ込み、ガソリン価格が短期間に乱高下するなど国民生活に混乱が生じた。
日本銀行総裁の人事も、政府が提案した人事案が参院で繰り返し否決され、日銀総裁が一時不在となるという失態を招いた。
いずれも日本政治の機能不全を象徴する出来事だった。
近く召集予定の臨時国会でも、引き続き、民主党などの激しい抵抗が予想されていた。政策実現の展望も開けず、結局、辞任に追い込まれたといえる。召集前の辞任表明は、国会への影響を最小限にとどめるためだろう。
首相は、内閣支持率の低迷にも苦しんでいた。内閣改造も政権浮揚の転機にならなかった。
衆院議員の任期は残り1年に迫っている。早期の衆院解散・総選挙を念頭に、公明党などからも首相の交代を促すような発言も公然と出ており、与党内にきしみが生じていた。
首相は辞任会見で、「私自身、自分自身を客観的に見ることができる」と述べた。これは、次期衆院選を自らが自民党総裁として戦うことは適切でない、との判断を示したといえよう。
首相は、道路特定財源一般財源化や、北海道洞爺湖サミットを無難にこなすなど、一定の成果を上げた。だが、消費者庁の設置など「福田色」の政策は実現できず、政権は短命に終わった。
◆オープンな総裁選を◆
福田首相の後任としては、自民党の麻生幹事長が最有力候補とされてきた。
麻生氏は、昨年の「ポスト安倍」の自民党総裁選で、福田首相と一騎打ちを展開し、党員投票の得票では首相に迫った。麻生氏には、その意味で「選挙の顔」としての期待が高い。
ただ、麻生氏の政策については、国民には十分に知られていない。いわゆる小泉構造改革を続けるのか、当面の景気浮揚を優先するのか。消費税率の引き上げの道筋をどうつけるのか。
今回の総裁選では、これらが大きな論点となろう。
自民党は、国民の前で堂々とオープンな総裁選を展開し、次のリーダーを選出、重要政策の遂行にあたらなければなるまい。
日本を取り巻く環境は、内外とも、政治、経済両面で「多事多難」である。それも、サブプライム問題や原油高など日本一国では対応できない難問ばかりだ。
福田首相自身が認めるように、ねじれ国会の下、日本の政治は、何も決められない、決めるまでに相当な時間を要する、という状況が続いている。
特に、海上自衛隊によるインド洋での給油活動を継続することは、本来、日本が国際社会による「テロとの戦い」の一翼を担うための最低限の責務である。
昨年の臨時国会では、参院第1党の民主党の反対で、新テロ対策特別措置法の成立が遅れ、給油活動の中断を余儀なくされた。
◆自公連携の再構築◆
今年は、公明党衆院で3分の2以上の多数による再可決に慎重姿勢を示し、新テロ特措法改正案の成立自体が危ぶまれている。後継政権は、ギクシャクしている自公関係を立て直し、改正案の成立を期すべきだ。
日本の景気は後退局面入りが確実視されている。政府・与党は、事業規模11兆円超の総合経済政策をまとめ、補正予算で1兆8000億円の歳出を決定している。この経済政策の実効を上げることが、喫緊の課題である。
臨時国会ではさらに、先の国会で積み残した社会保障の関連法案などの処理も予定されている。
ポスト福田」の新内閣は、一連の政策課題を迅速かつ機動的に遂行できるよう、強力な布陣を敷くことが何より肝要である。



【主張】福田首相辞意 空白抑え強力な政権を 党利党略超えた政治に戻せ(産経新聞 2008年9月2日(火))

福田康夫首相が辞意を表明した。8月2日に改造内閣を発足させたばかりであり、12日に臨時国会を召集すると言明しただけに突然の政権投げ出しは無責任の極みである。きわめて残念だ。
国政の停滞は一刻も許されない。自民党は後継総裁を迅速に選出しなければならないが、国家の危機ともいえる状況を打開できる指導者をなんとしても擁立する責務がある。派閥の論理などが横行するようなことがあれば、国民からそっぽを向かれよう。
首相は辞意の理由について臨時国会を乗り切ることが困難と判断したことを示唆した。与党の公明党は国会の召集や会期幅に関し、首相の意向を無視するような対応に終始した。小沢一郎民主党代表も依然として、対決路線を鮮明にしている。
いずれも早期の解散・総選挙に追い込むための党利党略が絡んでいる。与野党とも日本が抱える内外の諸懸案の重みを考え、国民の利益や国益を実現することを最優先しなくてはならない。
首相は公明党との間で厳しい意見調整を強いられた。首相が議長を務めた主要国首脳会議(洞爺湖サミット)の後、内閣改造臨時国会の召集時期などだ。
≪無責任な政権投げ出し≫
その理由は、インド洋での海上自衛隊による給油支援を延長する新テロ対策特別措置法改正案の取り扱いについて、公明党衆院再議決を前提として臨時国会で成立させることに強く反対したことにあった。
さらに、公明党が首相の意向を受け入れない底流には、年末・年始に衆院解散・総選挙を行いたいという党の都合を優先したことがあったといえる。「現体制で総選挙を戦えるのか」と首相を突き放すような言動も散見された。
8月末にまとめた総合経済対策に、選挙対策の狙いが露骨で、財政規律の緩みを象徴するような定額減税の年度内実施が盛り込まれた。これも公明党の強硬な主張に屈したものといえる。
もとより、政権運営に困難をきたした原因は、ねじれ国会の下で民主党が政策協議を拒否する姿勢を崩さなかったことにある。インド洋でのテロとの戦いは中断を余儀なくされ、日銀総裁の空席という事態を招いて国際的信頼も失墜した。
こうした苦境をしのいでいくうえで、衆院の3分の2以上の勢力を構成する公明党との連立関係は不可欠だった。しかし、その公明党が急速に独自性を強めたことが、首相を窮地に追い込んだことは間違いないだろう。
首相は小沢代表に対し、「国のためにどうしたらよいのかを話し合いたかった」と述べた。
小沢氏は1日の記者会見で代表選(8日告示、21日投開票)への出馬を表明した。代表選は他に立候補の動きはなく、小沢氏の無投票3選は確実だ。
≪小沢代表は国を語れ≫
小沢氏は「民主党が新しい政権をつくるしかない」と政権交代への決意を強調したが、自らの政権構想などについては21日の代表選出後に説明すると述べた。
これは小沢氏にすべての政策や党運営を一任することを意味するが、代表決定前にもっと党内で基本政策を論議すべきだ。
小沢代表の掲げる政策や政治手法に関し、党内でも疑問を持つ人は少なくないだけに民主党が好機を活用しないのは残念だ。
小沢氏は告示などの機会をとらえ、日本をどうするかなどを明確に国民に説明する責務がある。民主党代表が首相候補であることを考えれば当然だ。
首相は在任中、平成21年度から道路特定財源一般財源化する方針を打ち出した。道路行政を大きく転換するものであり、道路族議員が強い影響力を持つ自民党政権下では画期的な判断だったといえよう。
政権発足からまもなく、小沢代表との間で極秘の党首会談を重ね、大連立構想をめぐる話し合いを行ったことは、今後の政界再編の可能性を示唆するものだったと位置付けられよう。
インド洋での給油支援再開のためなどの衆院再議決に踏み切ったのも福田首相だった。責任ある政治を遂行しようという意欲はやはり評価したい。
首相は自らの続投より、新たな陣容による懸案の解決を求めた。それを無にしてはなるまい。



【社説】福田退陣表明 二代続けて投げ出しか(東京新聞 2008年9月2日(火))

福田康夫首相が唐突に政権を投げ出した。麻生太郎自民党幹事長に後を託すらしいが、無責任の極みである。政局は一気に流動化し、衆院解散・総選挙へ向かう。国民不在の波乱の秋が始まった。
一年足らず前の安倍晋三氏による政権投げ出しの記憶が生々しい。そんな中での二代続けての首相退陣である。厳しい環境にあったとはいえ、自民、公明両党でつくる連立政権の事実上の破綻(はたん)といっていい。
福田首相は一日夜の緊急記者会見で、道路財源の一般財源化や消費者庁設置の方向性を打ち出せたことなどに触れ「国民目線の改革に手をつけた」と胸を張った。
だが、こうも続けた。国民生活を考えれば、民主党が審議を引き延ばすことはあってはならない、私が首相を続ける限りどうなるか分からない、ならば新しい布陣のもとに政策の実現を図らないといけない、と。それゆえに辞任するのだという。内閣支持率の低迷も一因に挙げた。
全く理解できない。病気を辞任理由にした安倍氏とは違うと抗弁したが「投げ出し再び」と言わずに何と言えばよいのか。
衆参逆転のねじれ国会の現状は安倍前政権を引き継いだときから分かっていたことだ。政策実現は並大抵の努力では困難だということを百も承知で、首相の重責を引き受ける決意を固めたのではなかったか。一国のトップがこうも人ごとのように国政を語っていいのか。無責任すぎる。
八月初めに起死回生を狙った内閣改造後も支持率が上向かず、今月に召集予定の臨時国会も乗り切りを困難視されていた。
今月下旬には国連総会での演説が予定されていた。インド洋での給油継続問題も首相はその必要性を強調したばかりだった。北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議も継続中だ。一方、景気対策をめぐっては、低所得者層向けの定額減税など政府・与党で決定したばかりである。公明党の「福田離れ」が響いたのか。
首相は「大きな前進のための基礎をこの一年間で築いたと自負している」と述べたが、果実を得る見通しもないままの突然の退陣表明は国民の目にどう映っただろう。
首相の期待する「新しい布陣」が国民の信頼を得られるとも思えない。自公政権はだれがトップを務めようと同じことを繰り返すのではないか。いたずらな政治空白はもはや一刻も許されない。



社説 解散戦略描けず行き詰まった福田政権(日本経済新聞 2008年9月2日(火))

福田康夫首相が緊急記者会見し、退陣する意向を表明した。首相は「今が政治空白をつくらない1番いい時期と考えた。新しい人に託した方がいい」と述べ、次期臨時国会前の時期を選んで辞意を固めたことを明らかにした。
8月に内閣改造に踏み切ったばかりの首相の政権運営が行き詰まったのは、最後まで衆院の解散戦略を描けなかったためである。
次期首相は早期解散を
衆参ねじれ国会という厳しい局面で昨年9月に就任した首相は当初、民主党との大連立で政権を安定させる道を模索したが、この構想が頓挫してからは、国会での法案処理で手いっぱいだった。
本紙の直近の世論調査で、内閣支持率は改造直後の前回調査の38%から29%に低下。与党内では「支持率が低迷する福田首相の下では選挙を戦えない」との見方が広がっていた。このまま手をこまぬいていれば、次期衆院選への危機感から「福田降ろし」の動きが表面化する恐れもあった。
とりわけ年末・年始の早期解散にかじを切った公明党は、福田政権に厳しい姿勢を鮮明にし始めた。首相と公明党との間では、臨時国会の召集時期や会期をめぐり不協和音が絶えなかった。
首相は臨時国会で、インド洋上での給油活動を延長する法案や消費者庁設置法案の成立に意欲を示していた。しかし民主党は給油延長法案などに反対する方針を崩さなかった。給油延長法案を成立させるには、衆院で3分の2以上の賛成で再可決するしか手はなかったが、公明党の協力を取り付けられぬまま、臨時国会に臨まざるを得ない状況だった。
衆院解散で局面を打開することができない首相は早晩、退陣に追い込まれる可能性が高かったといえる。政治空白を最小限にとどめるために、国会召集前に辞意を固めた首相の判断は理解できる。
しかし前任の安倍晋三首相は1年で政権を投げ出し、福田首相衆院選の洗礼を受けぬまま、1年で退陣する。与党内の政権たらい回しで、3人目の首相が誕生するのは極めて異常な事態である。
記者会見に先立ち、首相は麻生太郎幹事長に「総裁選の日取り、手続きを進めてほしい」と指示した。自民党は速やかに総裁選を実施して、新政権を発足させる必要がある。
だれが首相になっても、早期に衆院を解散して有権者の審判を受けなければならない。衆院選の実施こそが、政治空白を短期間にとどめる道だろう。
一方、民主党小沢一郎代表は記者会見で、党代表選への出馬を正式に表明した。告示日の8日に無投票三選が確定し、21日の臨時党大会で選出される見通しになっている。小沢氏は次期衆院選民主党首相候補になるが、党大会で政権構想のもとになる所信を発表する意向も示した。
今回の代表選では有力な対抗馬と目された岡田克也前原誠司両副代表らが相次いで不出馬を表明。出馬への意欲を示した野田佳彦広報委員長は、支持グループの中から反対論が出て、出馬を断念した。
私たちは代表選で活発な政策論争をしたうえで、次期衆院選マニフェスト政権公約)を練り上げるよう求めてきた。党の存在感を高める絶好の機会を自ら封じてしまったことは遺憾である。
小沢氏は政策を語れ
首相の退陣表明に伴い、自民党では急きょ、総裁選が行われる見通しになった。自民党との対比においても、代表選が無投票で終わることは有権者にも物足りなさを残すに違いない。
小沢氏は記者会見で次期衆院選政権公約について、昨年の参院選の公約と「大筋の考え方は変わらない」と説明した。
しかし参院選の公約は農業の戸別所得補償や子ども手当など総額15兆3000億円の新規施策の財源の大半を、行政の無駄を省くことで生み出すというもので、説得力に欠けた。その後、民主党はガソリンの暫定税率の廃止などの新たな施策を打ち出しており、党内からも財源の裏づけが不十分との批判が出ている。
民主党政権ができれば、政権公約に沿って予算編成などに取り組むことになる。今後の政権公約づくりなどで、小沢氏はもっと政策を語るとともに、批判にも謙虚に耳を傾ける姿勢が必要だろう。参院選政権公約を吟味したうえで、政策の優先順位などをはっきりさせる作業が不可欠だ。
首相の退陣表明で衆院解散・総選挙は年内に行われる可能性が強まってきた。次期衆院選は文字通り政権選択をかけた歴史的な選挙となる。自民、民主両党は政権公約を示すことが急務であり、その中身が党の消長に直結する。



社説:首相退陣表明 政治に深い傷を残した(北海道新聞 2008年9月2日(火))

「新しい布陣の下で政策の実現を図っていかねばならない」
福田康夫首相が夜の緊急記者会見でこう述べ、突然退陣を表明した。
だが自らの手で臨時国会の召集を十二日と決め、先週末には総合経済対策をとりまとめたばかりだ。
唐突な決断だと言うほかない。
安倍晋三前首相が臨時国会所信表明演説を済ませた直後に政権を放り出したのは、昨年九月だった。
そして今度は福田首相である。国民はわずか一年のうちに二度までも首相が任期途中で職責を放棄する場面を目にすることになった。
重大な背信行為であり、その無責任ぶりに驚き、あきれるばかりだ。
首相が会見で説明した辞任理由はこうだ。
臨時国会では国民の暮らしにとって一刻の猶予もない重要案件が山積している。態勢を整えて臨んだ方が良い結果を得られる−。
本当は政権運営に行き詰まり、文字通り進退が窮まったというのが実情だろう。
首相は就任以来、「福田カラー」が見えないと批判され、指導力不足を指摘され続けた。それだけに、自らの手で政策の実現を図っていくことに強いこだわりも見せていた。
臨時国会では景気対策と新テロ対策特別措置法の延長、さらに消費者庁の設置を重点政策と位置づけ、全力で当たる方針を強調してきた。
そのために八月には大幅な内閣改造に踏み切り、自前の「布陣」を整えたのではなかったか。
ところが、ほころびは与党内から生まれた。連立を組む公明党が早期の解散・総選挙を望む立場から国会召集を遅らせるよう注文し、会期幅も短くするよう迫った。
総合経済対策をめぐっても、首相は本意ではない定額減税を盛り込むよう押し切られた。
首相でありながら、自分の意向が通らない。改造でやや上向いた内閣支持率も再び下がり始めてきた。
国会対策上の配慮などではない。もはや今後の政権運営に展望が開けなくなった。それが辞任の真相だ。
首相は会見で「積年の問題が顕在化し、その処理に忙殺された」と悔しさをにじませた。
同時に「大きな前進のためにいろいろな基礎を作ることができたと自負している」と実績も誇った。
その言葉から、国政の最高責任者としての自覚がどれほどくみ取れるだろうか。
困難を承知で政権の座に就きながら、うまくいかないと投げ出す。安易な振る舞いは首相の座を軽いものとし、日本の政治全体に深い傷を残した。その罪はあまりに重い。



社説:福田首相辞任表明 またも唐突で無責任だ(秋田魁新報 2008年9月2日(火))

福田康夫首相が突然、辞任する意向を表明した。わずか1カ月前に内閣改造を断行したばかりであり、臨時国会を12日に控えてあまりにも唐突過ぎる。
1年前、内閣改造後に突然政権を投げ出した安倍晋三前首相の姿とだぶって見える。理由はどうあれ、わずか1年あまりの間に日本のトップリーダーが相次いで突然辞任するのは、異常と言わずして何と言おうか。
政治そのものに対する国民の信頼がさらに失墜するのではないか、と危惧(きぐ)する。その意味で、今回の事態はまさに日本にとっての「政治の危機」と言っていい。
1日夜の福田首相の会見を聞いても、辞任を決意した真意はよく理解できない。「国会が少しでも順調にいくように考え、私がやるよりほかの人にやっていただければ」「私の先を見通す目には、(状況が)順調ではない」とは何を意味するのか。
まだ理由が明確でない中で、あえて3つの点を指摘したい。支持率低迷が続いていること、与党内で「福田首相では次期衆院選は戦えない」との空気がかなり強まってきたこと、とりわけ連立を組む公明党との関係がぎくしゃくしたことである。
公明との関係でいえば、海上自衛隊のインド洋での給油活動延長を目的とする新テロ対策特別措置法改正案が大きい。ブッシュ米大統領に“約束手形”を切った福田首相と、衆院再議決に慎重な公明の間には、明らかにすき間風が吹いていた。
福田首相は、臨時国会の召集時期で公明に半ば譲歩し、主導権を発揮できない姿を露呈してしまった。29日にまとめた総合経済対策でも、公明が求めた定額減税の実施を盛り込む配慮を示した。
しかし、「あちら立てれば、こちらが立たぬ」のことわざ通り、今度は自民党内の構造改革派から反発が出る。バラマキ路線の復活と映ったからである。
福田首相とすれば、よかれと思って手を打ったことが裏目に出たとの思いが強いのではないか。しかし、これも自らの指導力の欠如が招いた結果である。
思えば昨年9月26日の政権発足以来、「ねじれ国会」の中で苦しい政権運営の連続だった。政権浮揚を狙った主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)や内閣改造も空振りに終わってしまった。
野党ばかりか、与党からも反発が出て、思うようにいかない。そうした四面楚歌の状況に追い込まれ、政権運営に自信をなくした末の政権放棄とみることができる。そこには「国民の目線」など不在だ。
2005年9月の郵政選挙以降、衆院選という国民の審判を経ずに首相が3度も交代する事態となった。今後は麻生太郎幹事長を軸に後継選びが進むだろうが、首相辞任が後退局面に入った経済に与える影響は甚大だ。どう抗弁しようと、福田首相は無責任極まりない。



社説:福田首相辞任/これが責任の取り方なのか(河北新報 2008年9月2日(火))

政治の「突然」に驚くよりは、政治の「責任」というものを問わないわけにはいかない。
福田康夫首相がきのうの夜、見通しのきかない不透明感が臨時国会前の政局を覆いつくす中で、辞任する意向を表明した。
昨年9月に政権を投げ出した安倍晋三前首相と同じように在任1年足らずの退場である。
後退局面に入ってしまった国内景気にどう対応するのか。首相自らが国際公約にした新テロ特措法の延長問題や消費者庁構想にどう道をつけていくのか。
重要な政策テーマが山積するこの局面での突然の辞任はどう見ても無責任というしかない。
北海道洞爺湖サミット内閣改造などの手を打っても一向に内閣支持率が上向かなかった。
その中で、自民・公明両党の9年来のパートナー関係に亀裂が入ったり、農相の事務所費問題などが浮上したりと、12日召集の臨時国会を乗り切る展望を見いだせなかったのだろう。
福田首相が自らの身を挺(てい)してぎりぎりの政権浮揚を狙ったというよりは、政権運営の自信をすっかり喪失した末の決断とみた方がよさそうだ。
福田首相は、父親の福田赳夫首相が大平正芳幹事長との激闘の末に退陣に追い込まれた1978年の党内抗争を首相秘書官として見続け、権力闘争の無慈悲を思い知らされたとされる。
「権力には淡泊」という評価が福田首相について回ったのはそのためだが、そうした首相のキャラクターを持ち出して今回の辞任劇の裏を読み解こうとするのは、政治の責任の所在をあいまいにするだけだろう。
自らが身を引き、例えば「ポスト福田」の最右翼と目される麻生太郎党幹事長にバトンを渡すことで、差し迫った衆院の解散・総選挙を有利に運びたいというのが福田首相の本音だとしたら、それは政権党の姑息(こそく)な延命策にすぎない。
そして、あまりにも内向きな論理である。国民の方を向かないこうした姿勢こそが、自民党金属疲労を限界に向かわせ、国民の政治不信を増幅させてきた要因であることにこの党はまだ気付かないのであろうか。
早々に新しい自民党総裁(首相)を決め、内閣の布陣も立て直すことになるのだろうが、世論の多くが福田首相退陣の不条理さを問題にするとしたら、政権の“リセット効果”はそう大きくないかもしれない。
しかし、8日にも小沢一郎代表の3選が決まる民主党と真正面から政権公約の優劣を競い合い、どの党が政権党にふさわしいかを国民に問う必要がある。
つまり、できるだけ早い時期の解散・総選挙を経て政権の正当性を確保することがポスト福田政権の宿命だ。
今、政治に問われるのは、戦後復興期や高度成長期に確立された伝統的な中央集権型政策システムから、生活者・消費者・弱者に目を向けて持続的成長と分権型社会を展望できる方向に路線転換できるかどうかだ。
自民党福田首相退陣という事態をそうした転機に結びつけられなければ、今度は党自身が退場するしかあるまい。



社説:福田首相辞意 政治の劣化も極まれりだ(新潟日報 2008年9月2日(火))

一日夜、福田康夫首相が唐突に辞意を表明した。安倍晋三前首相の政権投げ出しから一年足らずで、またしても同じことが繰り返された。
福田首相がどう説明しようと無責任の極みである。同時に日本の政治が救い難いまでに劣化していることを示して余りある。国民の政治不信がさらに高まるのは必至だ。
与党内での政権たらい回しはもはや許されない。後継首相は即刻、解散総選挙に踏み切るべきである。
首相は辞任会見でこう述べた。
道路特定財源の見直しに道を付け、消費者目線の政治へのレールを敷いた。臨時国会に向けた総合経済対策も打ち出した。いまが辞任の絶好のタイミングだと判断した。
全く独りよがりの「理屈」だ。首相が挙げた一つ一つの実行はこれからの国会審議に懸かっている。その先行きが見通せないからと退陣するのでは、何のための内閣改造だったのか。
首相は内閣支持率が低迷していることも辞意決断の理由に挙げた。だが、20%台の支持率しかない政権は世界中いくらでもある。そこでくじけてしまうのは、政治的信念を貫く意志が足りないからにほかなるまい。
ねじれ国会のもとでは、首相の思い通りに事が運ばないのは仕方がない。そこで問われたのは、国民の利益を第一にした徹底的な論議と大胆な妥協である。「民主党が話に乗ってくれない」などというのは泣き言にすぎない。
対立する野党が政権交代を掲げて攻勢を掛けるのは政治の常だ。それに耐えられないような首相が二代も続いた。自民党の総裁選びが間違っていたことの証左でもあろう。
福田後継は麻生太郎自民党幹事長が確定的となっている。改造前には禅譲の密約説も流れ、首相が不快感を示す一幕もあった。不可解な辞意表明はこれを裏付けるものではないか。首相と麻生幹事長の説明を求める。
ぼろぼろになる前に辞める。「自分を客観的に見ることができる」と自負する首相が、そのスタイルにこだわった、との見方もできる。泥まみれになって政治課題実現に取り組むより、自己のプライドを重んじるような人物を首相に選んだのが間違いだった。
世界経済は危機的状況だ。米ロ対立も激化しそうだ。北朝鮮との付き合い方も正念場を迎えている。国民生活は物価高にあえいでいる。福田首相は、その一切に目をつぶって政権を投げ出した。国民本位など、どこにもないと言わねばならない。
辞意表明によって臨時国会の日程が先送りされた。首相が懸念する政治の空白そのものだ。このこと一つとっても、辞任には一点の理もない。



社説:首相辞意表明 総選挙は待ったなし(信濃毎日新聞 2008年9月2日(火))

唐突な辞意表明だ。福田康夫首相が辞任する意向を表明した。
安倍晋三前首相に続いての突然の辞意である。前首相は健康問題を抱えていた事情があった。福田首相の場合、辞意を固めざるを得なくなった決定的な事情は、記者会見を聞いてもうかがえない。「無責任」との批判を浴びても仕方ない。
会見では、民主党の反対により臨時国会で「決めるべきことが決まらない」状態になったことを挙げ、「今度開かれる国会でこのようなことは決して起こってはならない」と述べていた。
しかし、責任を野党に転嫁すべき事態なのか。小泉、安倍両政権の負の遺産を引き継いだことに同情するとしても、すべてに中途半端でリーダーシップが最後まで取れなかった自らの責任こそ、重大だったのではないか。
支持率が低迷していたのは事実である。共同通信社が8月初めに行った全国電世論調査では、内閣支持率は31・5%にとどまった。「不支持」の48・1%との差は大きい。
1カ月前に内閣を改造したばかりだ。そのときは「解散を論ずるよりも政策を実行する社会、経済の情勢だ。(解散を)いま直ちに考えているわけではない」と述べ、政権運営に意欲を見せていた。分かりにくい決断だ。
安倍前首相は「国民の支持がない」ことを、辞任の理由に挙げていた。福田首相政権運営に行き詰まりを感じていたのなら、衆院を解散し、自民・公明の与党が引き続き政権を担うのか、民主党に政治を任せるのか、国民に問い掛けるのが筋である。
辞任が責任を全うする道と言えるのか、国民の多くは疑問を持つはずだ。
政局の焦点は自民党の総裁選びに移った。総裁が交代しても、参院の多数を野党が握るねじれ状態は変わらない。次の首相も政権運営に苦しむことになる。
状況を切り開くには、解散・総選挙に踏み切るほかない。次の総選挙で与党が衆院過半数を取れば、衆参ねじれの状況は変わらないとしても、“直近の民意”として、野党も結果を尊重せざるを得なくなる。
次の自民党総裁選びは麻生太郎幹事長を軸に進められるとみられる。3年前の「郵政選挙」以降、総選挙を経ないまま首相が3度も交代することになる。
選挙の先送りはますます許されない。次の首相は、民意を問うことを最初の仕事にすべきだ。



社説:福田首相辞任 国民に信を問うべきだ(中国新聞 2008年9月2日(火))

またか。どうしてなのか。安倍晋三前首相の政権投げ出しから一年足らず。今度は福田康夫首相が突然、退陣を表明した。
総合経済対策など、めざしてきた「国民目線での改革」の方向性は打ち出せたから態勢を整えて臨時国会に臨みたい、という。参院で野党が過半数を占める「ねじれ国会」で、政権運営の困難さは就任した当初から分かっていたはずだ。とても納得できない。
首相は、昨夜の緊急会見で理由をこう述べた。「私が首相を務める限り、野党が反対姿勢を変えない。政策実現のために何をするにも時間がかかりすぎる」。野党のせいにして、政権を投げ出した安倍前首相と、どこが違うのだろう。無責任という点では、全く変わりはない。
首相も認めるように、こうした事態に至った背景にあるのは、ねじれ国会である。
就任してすぐ民主党小沢一郎代表に大連立を呼び掛けたが、失敗に終わった。これを機に、民主党は「対決路線」に転換し、国会運営は厳しいものになった。
最初に直面したインド洋での給油を続けるための新テロ対策特別措置法では、民主党などの反対を押し切って、衆院の三分の二による再可決。ガソリンの暫定税率をめぐっても野党の合意を得られず租税特別法案を再可決した。
「決めるべきことがなかなか決まらない」というのは、そうしたことを指すのだろう。しかしねじれ国会であることは、安倍前首相からバトンを受けた時点で分かっていたはずだが、予想以上に物事が進まず、疲れ果て、自信を失ったということだろうか。
気の毒な面はあった。就任以来噴き出したのは社会保険庁防衛省の積年の不祥事である。前政権まではふたをされていた事実が次々に明るみに出た。首相一人の責任に帰するのは酷としても、それで免責されるわけではない。
社会保障費の大幅な圧縮など行き過ぎた小泉改革路線にブレーキをかけるとともに、安倍前政権のタカ派的政策から方向転換を図った面もあった。七月にあった北海道洞爺湖サミットでは、二酸化炭素削減に向けた国際協議で、調整役を果たした。
だが、内閣を改造しても支持率は上がらず、与党である公明党からも「ポスト福田」の声が上がるに及んで、気持ちの上でも耐えられなくなったのだろうか。
自民党は、早期に総裁選を実施し、新総裁を選ぶことになる。しかし、首相が代わってもねじれが変わるわけではない。民主党は、与党を追い込む戦術をますます強めていくに違いない。
安倍前首相も福田首相も、国民の審判を受けていない。二〇〇五年の郵政選挙以降、議院内閣制で二代続けて民意の信任を得ていない政権が続くという、異例の事態である。
次期政権は、緊急の総合経済対策などの手を打った上で、できるだけ早く衆議院を解散し、国民に判断を仰ぐしかないだろう。



社説:福田首相辞任 解散をこれ以上先送りするな(愛媛新聞 2008年09月02日(火))

昨年のドタバタ劇の再演を見るようで、国民の多くが理解に苦しむのではないか。
福田康夫首相が昨夜、辞任を表明した。
安倍晋三前首相は内閣改造からわずか半月後、臨時国会で所信表明までしたあと政権を放棄した。それに続くあまりに唐突な辞任劇である。懸念の増す経済を尻目に、政治空白が続くことになる。
福田首相もちょうど一カ月前に内閣を改造、臨時国会に向けた布陣を整えたはずではなかったか。先週には、公明党の求める定額減税などを盛り込んだ総合経済対策も決定するなど、重要案件が出そろったばかりだ。
退陣会見も釈然としない。
経済対策や消費者庁法案をとりまとめ、社会保障制度見直しや道路特定財源一般財源化も打ち出した。首相は成果を誇るようにそれらを並べたが、どれも成立の展望はない。太田誠一農相の事務所費問題も浮上、国会を乗り切るのは至難の業だったろう。
一方では「ねじれ国会で大変苦労させられた。民主党は重要法案に限って真っ向反対だった」と述べた。
首相には確かに気の毒な面もあった。参院選惨敗で未知のねじれに直面したうえ、薬害C型肝炎年金記録不備、防衛省不祥事といった歴代政権の失政のつけを一手に背負わされた感がなくはない。
だが、民主党との大連立が幻に終わると、首相は給油継続や道路特定財源暫定税率延長を数に任せて衆院で再可決した以外、ねじれ国会を乗り切る知恵は打ち出せずじまいだった。それをすべて野党のせいにするのは見苦しい責任転嫁でしかない。
ブッシュ米大統領に約束したインド洋での海上自衛隊による給油活動の継続もある。再可決に難色を示す公明党とのはざまで身動きがとれなくなっていた。地球温暖化対策など主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)でとりまとめた約束もあるのに、国際的信用失墜は不可避だろう。
どう弁明しようと無責任のそしりはまぬかれない。二代続けてこんな首相を担ぎ出した自民党と、支えた公明党の責任はきわめて重い。
そもそも、衆院選で民意を問うことなく二つの政権が生まれたところからボタンの掛け違いは始まっている。
しかも、内閣改造では郵政造反復党組を登用し、構造改革路線の後退を印象づけた。小泉人気で水ぶくれした衆院議席は最大限に利用するが、政策は都合よく変える。こんな民意軽視は許されない。
衆院の勢力により、後継首相は自民党総裁選で事実上決まる。だが、このうえ国民から正統性に疑念を抱かれる政権では民主主義はますます骨抜きになる。ただちに衆院を解散するよう強く求めたい。



社説:福田首相退陣(宮崎日日新聞 2008年9月2日(火))

早期解散で国民の信を問え
福田康夫首相が辞任することを表明した。臨時国会召集予定日直前という突然のタイミングだが、「新しい布陣のもとで国家、国民のために政策実現にまい進しなければならない」と強調した。
福田政権は内閣改造を行ったばかりで、総合経済対策や消費者庁創設など国民生活に密接に絡む重要な法案審議を抱えているため、「政治の空白につながる」との批判もある。だが福田首相臨時国会の会期途中よりもこの時期なら影響を少なく抑えられるとの判断があったようだ。
今後、新しい総裁選びに入ることになるが政治の混乱を最小限に抑え、与野党には国民生活本位の国会運営を進めてほしい。
厳しい政権運営続く
福田政権は昨年9月、安倍前首相の突然の辞任を受けて発足。福田首相自らが就任時、「背水の陣内閣」と述べたように政権を取り巻く情勢は厳しかった。特に「ねじれ国会」の下では重要法案の審議が思うように進まず、国会運営でリーダーシップを発揮することができなかった。
また、年金記録不備問題や防衛省不祥事などが国民からの強い不信を招き、内閣支持率も低迷を続け、「次期衆院解散・総選挙をそのままの体制で戦うのは厳しい」との声も聞かれた。
福田首相は「国民のための政策実現に向けて大きな前進のための基礎をつくることができたと自負している」と強調した。
しかし、民主党など野党各党は、「衆院解散が筋で、(福田政権は)何もしていない」「自民党政治の行き詰まり、末期症状だ」などと厳しく批判している。
前政権の退陣を踏まえ「政治に対する信頼を取り戻すことが喫緊の課題」と表明した福田首相だが、またしても唐突な退陣で国民の不信感は逆に増幅しただろう。
開かれた後継選びを
このところの与党は公明党が早期の衆院解散・総選挙を求め臨時国会に対応しようとしており、自民党との総選挙戦略との擦り合わせもできていなかった。
これに対して民主党小沢一郎代表のもと臨時国会で徹底抗戦の構えで、政権が立ち往生する場面も予想された。福田首相政権運営に自信を持てなくなったのではないだろうか。
福田首相自民党麻生太郎幹事長に党総裁選実施を指示したが、密室での後継選びをせず開かれた総裁選を行うのは当然だ。
福田政権は政治の方向性をきちんと説明せず、「何をしたのか分からない」との批判を浴びた。
原油高・物価高による国民生活への深刻な影響、景気の悪化、食の安全など私たちの暮らしを取り巻く課題は山積している。
次の自民党総裁が、政権を維持したいと考えるなら、その政権の目指す姿を国民に明確に示す必要がある。そして次期総裁の下で早急に衆院を解散し、国民の信を問うべきではないか。



社説 [福田首相退陣表明(上)](沖縄タイムス 2008年9月2日(火))

総理って、そんなものか
福田康夫首相よお前もか―国民はそう思っているのではないか。
自前の閣僚によって臨時国会を乗り切ろうとしていた福田首相が、突然政権を投げ出した。
安倍晋三前首相に続く政権放棄である。どのような理由であれ国民を裏切る行為であり、政治家としての見識を疑わざるを得ない。
首相は一日午後九時半から開いた緊急会見で、インド洋での自衛隊の給油活動の延長をめぐり、公明党と方針の違いがあることを暗に示した。
この問題では北海道洞爺湖サミットの場で、ブッシュ米大統領に継続することを示し批判を受けた経緯がある。
これには自民党内からも「国際公約を果たせない首相はこの秋に立ち往生せざるを得ない」という声があがっていた。
不安が当たったということもできるが、公明党衆院再議決への慎重姿勢を崩さなかったことが退陣を決断させた一因になった。
首相は「大きな前進のための基礎を築くことができた」とも述べた。
緊急経済対策の策定などを指しているのだろうが、その具体的な内容は十二日に召集する臨時国会論議していくはずではなかったのか。
それについての説明は十分ではなく、国民には全く分かりにくいと言うしかない。 
責任を放棄した責任は重いのであり、安倍前首相の辞任劇に似た事態は政治に対する国民の信頼をさらに失墜させたといえよう。
首相は「この際、新しい体制の下、政策実現を図らなければならない」と説明している。
臨時国会を前にしたこの時期での表明については「今が政治空白をつくらない一番いい時期と考えた。新しい人に託した方がいい」と述べた。
だが退陣を決断した背景には、臨時国会召集や定額減税の調整に首相の意向が届かなかったことも大きく影響したとみていいだろう。
内閣改造でも内閣支持率が上がらず、自らの手で解散に踏み切るのは困難と判断したのも確かである。
公明党はじめ「福田首相では(選挙を)戦えない」という与党内の空気もまた首相を追い詰めた。
首相は道路特定財源一般財源化に加えて、消費者庁の設置などに触れて「国民目線に立った」政策を実現させたと強調した。だが、それとてすべてが道半ばではないか。
首相は昨年、安倍前首相の退陣を踏まえて「政治に対する信頼を取り戻すことが喫緊の課題だ」と表明していた。
にもかかわらず、原油高・物価高による国民生活への深刻な影響、後期高齢者医療制度宙に浮いた年金問題など、まさに解決を急がなければならない問題に指導力を発揮することができなかった。
内外に課題が山積する中での退陣は、日本の政治に対する外交的信頼をも失墜させたといえる。
自民党は早急に総裁選を実施することになるが、さらに大きな十字架を背負ったのは間違いない。