上田知事の「いじめによる自殺」についての見解

ちょこっとだけ新聞に載った会見のテキスト版がようやく掲載されたので、長い会見の中からの抜粋。リンク先に全文があります。


「子どもの自殺について」知事記者会見テキスト版(埼玉県 平成18年11月14日(火))

上田清司埼玉県知事
「どの学校であれ、どの社会であれ、いじめ的なものは、基本的にはあるんだと。問題は、いじめにあったから死ぬとか、そういう世界じゃないということです。死ぬことによって、どれだけ多くの人に迷惑をかけるかと。御両親が悲しみ、そして、加害者らしき人も苦しみ、関係者も苦しみ、場合によっては校長が自殺したりすることもありうると。負の連鎖をですね、わざわざ作ってると。自殺する思いに至ったことについて、同情はいたしますが、死んではならんと。断固死んではいけないと。このように私は思っております。何が何でも死んだりしてはいけないと。死ぬ勇気があれば戦えばいい。助ける人たちもたくさんいます。世の中はいじめる人もいますが、助ける人もたくさんいます。そういう社会でありますから、私は、もう、自殺の連鎖に関して言えば、終止符を打って欲しいなというふうに思います。是非、全国、埼玉県下で、そういういじめの中で、思い悩んでいる人がおられましたら、是非、両親や友達や担任の先生や、以前の担任の先生でも構いませんから、御相談していただきたいなというふうに思います。
今も昔も、多少のいじめ的なものは、人間社会である以上は多少あります。そういうものと立ち向かいながら、お互いに理解し合って、和解し合ってですね、社会がなっていくものだというふうに思っています。国家間のいじめもあるわけですから。本当に、ゼロということを想定して社会に出てしまえば、本当に辛い社会になってしまいます。学校も、和気あいあいと楽しくやりながらも、時々トラブルがあったりします。そういうことを前提に、社会というのはなっていますから、それでも人は支え合うというのが、まさに、人たるものの文字ですから、つっかえ棒がお互いにあることによって立つことができるということでですね、私は、過敏に反応しないで、もっと柔軟に反応していただきたいと思います。校長先生が、責任をとるような形で自殺するとかいうのがありましたけど、責任のとり方は、もっとたくさんありますので。軽々に命を亡くすようなことはしてほしくないと思っております。」



端的に言ってしまえば「死ぬのはイカン」と言っているわけで、いじめられた側にとって、まったく救いになっていないと思う。まるでいじめられて自殺を考えてしまうことが悪いことだと言っているかのような印象を持った。
行政の長であれば、もうすでに何人もの人々や機関・団体が指摘しているように、「このように対処した、あるいはするから安心してほしい」というようなメッセージがなぜ出せないのか。先生に相談している事例でも、何も進展がなかったりお座なりの対処しかしなかったりしているわけで、そうした現状を少なくとも改善した、あるいは改善するという意向を表明することも大事だろう。
某知事の暴言(こともあろうにテレビでも吐いたらしい)に比べれば穏当かもしれないが、いじめられた側を責める内容となっている点で、共通のマインドを感じる。