闇に葬っていいはずはない

松岡農相自殺:疑惑に自ら封印(MSN-Mainichi INTERACTIVE 2007年5月29日(火))

(前略)
だが、自殺はその蓄積のすべてを闇に葬り去った。



記事そのものは検察の動きを大まかに追い、公取委との関連や「緑資源機構」「光熱水費」について概要を示すもので読みでがあるのだが、最後のこの一文はいったい何だ。
毎日だけでなく、他のメディアでも「闇に葬られた」との論調が多いけれども、検察がこれだけ力を入れて捜査を始めようとしていた事件、しかも一つだけではないいくつもの疑惑について、本人が死んでしまったからといって全容がまったく明らかにできなくなってしまったわけではないはずだ。どれだけ手間暇が掛かろうとも糸口を掴み、丁寧に解き明かしていくことこそ報道の使命ではなかったか。
一連の疑惑に関連したものと思われる自殺がすでに3件発生するという異常事態だ。それこそ、報道が捻りハチマキで取り組むのにふさわしいテーマだと思うのだが、こんな論調ではやる気がないのだろうか。
いやしくも現職閣僚とその関係者らが命と引き替えにして何かを隠そうとした、もしくは隠すために命を落としたわけで、その周囲にいる他の閣僚もしくは政治家らにも関係者がいるかもしれない。それなのに、簡単に一閣僚の疑惑が泡と消えた、で済ませてしまうつもりなのか。
国民の多くが自分らの期待や不安と乖離したところで憲法や教育をこねくり回す政治に異議を突きつけ始めているこの時期にこそ、しっかりした体制でじっくりと取り組むことができなければ、政治のみならず報道に対しても、無関心時代が訪れることになりかねない。