朝日新聞の体罰特集

体罰を語る1 指導者から意識改革を 宮田和信・鹿屋体大教授(asahi.com 2006年6月13日)

3年前、授業で行った鹿屋体大生への調査では134人中、約76%にあたる102人が体罰に賛成した。今回の朝日新聞のアンケートでも60%の指導者が同様の答えをしており、改めて体罰容認論の根強さを見た思いだ。
スポーツの現場で体罰がなくならない最大の原因は、勝利至上主義だ。クラブの存在意義が勝つことに集約され、負けることは悪とされる。向上心はもちろん認められるべきだが、追求しすぎた場合、体罰といういびつな形で現れる。
学生の中には「たたいてくれたおかげで目が覚め、全国大会に出場できた」など体罰に感謝する声があった。しかし、人間は言葉でコミュニケーションしてこそ、人間たりえる。「愛のムチ」は体罰でなく、態度の厳しさであるべきだ。
法的規制にも問題がある。体罰は学校教育法11条で禁止されているが、条文はその具体的内容に触れていない。教師にたたかれた生徒が8日後に亡くなった76年の「水戸第5中学校事件」では、81年の控訴審で「必要に応じ、一定限度内で有形力を用いてもいい」との判断が下された。見直しは急務と考える。
体罰が恐ろしいのは、スポーツ自体を変容させるからだ。指導者が体罰を振るうことで、選手も勝利だけに価値を見いだすようになる。審判の目を盗み、反則をしてでも勝つことを目指す風潮がはびこる。
まずは指導者の意識改革しかない。講習会など、啓発活動を広げるべきだ。指導者が体罰でなく言葉での指導法を学べる場を提供することも大事だろう。
私の調査ではどんな競技でも体罰はある。ただ、野球は注目されるため、どうしても不祥事が目立つ。野球が率先して体罰の追放に取り組めば、スポーツ界全体への波及効果は大きいはずだ。(聞き手・渋谷正章)

みやた・かずのぶ 東京教育大(現筑波大)大学院修了後、名古屋工大、京都教育大などを経て、92年に鹿屋体育大教授に就任。97年度から2年間、副学長を務める。専門は学校体育経営、スポーツ文化人類学で、スポーツ現場での体罰問題にも取り組む。62歳。

朝日新聞社が実施した「高校野球の指導に関するアンケート」で指導者の体罰への意識が浮き彫りになった。「体罰」について、識者や現場指導者に話を聞いた。



体罰を語る2 生徒を思い涙流せるか 山口良治氏(asahi.com 2006年6月14日)

監督就任1年目の試合で112対0で負けた。あの時、生徒に向かって「悔しいと思わないのか!」「同じ高校生に負けて何とも思わないのか!」と、泣きながら殴ったことを今でも覚えています。あれで子供たちが気づいてくれてね。今の伏見工の原点です。
たたいて喜んでもらえることなんて、なかった。いつも心で泣きながら、たたいていました。
何もしないほうが、周りから何も言われないし楽ですよ。でもね、教師が自分を守っていたら、何も変わらない。生徒への熱き思いが壁を破ってくれる。そして、その思いは絶対、子供たちから返ってくる。そういう意味では、自分の保身を考え注意もしない教師が、多くなってきたような気がしますね。
僕は、うちの部に入ってくる生徒と必ず握手をする。高校3年間という短い期間ではなく、「こいつらとこの先、一生付き合うぞ」という決意の握手。「山口の誓い」というやつです。
もちろん体罰は、絶対に許されるものではないし、しちゃいかん。力によって、自分の意図する方向にし向けようとしても、逆の方向に走ってしまう。いい結果は絶対に生まれない。
僕は昔、親の前でも、子供を殴ったこともあったけれど、それを体罰だとは思ってはいません。親に訴えられたら、いつでも辞める覚悟をして、生徒と接してきました。
体罰をして訴えられるケースを見ていると、果たしてその場で指導者と子供が抱きあって泣けるだろうか。ただ悪い生徒をけっても、殴っても何もその子は変わらない。どれだけ生徒のことを思えるか。子供とのコミュニケーション、アフターケア。ともに汗を流し、涙を流せる場を作っていけるかが大事なんです。

やまぐち・よしはる 京都市スポーツ政策顧問。75年、京都・伏見工ラグビー部監督に就任し、当時無名のチームを81年に全国高校ラグビー大会で初優勝へ導いた。現総監督。テレビドラマ「スクール・ウォーズ」のモデル。教え子に平尾誠二氏ら。63歳。



体罰を語る3 自主性奪う「勝利至上」 飯田貴子氏(asahi.com 2006年6月13日)

スポーツと暴力はそもそも無縁ではない。近代スポーツは人の暴力的な欲求を封じ込める手段として成立した面がある。
野球では選手の自主性より、監督の指示が優先することが多い。監督が権威を示すため、暴力を用いやすい土壌があるのではないか。甲子園に出るような指導者は地域でも権力を持つ。メンバー決定や進路選択で選手が将来を握られている間は、体罰があったとしても表に出にくいだろう。
スポーツ参加の度合いだけ見れば女性の進出はめざましいが、メジャースポーツの選手や組織役員、指導者は「男の世界」。高校野球はその典型だ。暴力的行為が「男らしさ」として継承されやすい文化がある。
アンケートで指導者の8割が「心の育成」を重視すると答えているのはうなずける。だがそれと、勝利至上主義とは基本的に相いれない。
競技だから攻撃性は避けられないが、勝てば何をしてもいいなら戦争と一緒。攻撃性は増すばかりだ。そのための集団は軍隊に似て、民主的な考えは尊重されず、上下関係が厳しくなる。
勝利至上主義を助長するのは、今やナショナリズムではなく、コマーシャリズムでありマスメディアだ。学校は高校野球を生徒集めの宣伝に用いる。メディアは売るためにヒーローを求める。多少の問題には目をつぶってでもすがすがしい面だけを強調すれば、現実を隠すことにもつながる。
4200校余の頂点に立つのは大変だが、1校以外はいずれ負ける。「一生懸命やっても負けることがあるんだ」と学ぶのもスポーツ。それも貴重な意味を持つ。
勝利至上主義はスポーツの宿命ではない。友達づくりや健康維持などスポーツの楽しみ方は多様で、生活に入り込んでいる。報道もスポーツを勝ち負けばかりでなく、社会的・文化的な側面からもしてほしい。(聞き手・斎藤利江子)

いいだ・たかこ 日本スポーツとジェンダー学会会長。専門はスポーツ社会学文化政策学。スポーツ界でのセクハラ問題などを研究。中学から大学まで10年間競技水泳に励み、高校総体やインカレにも出場した。現在は地域で体操を教えている。58歳。



体罰を語る4 ミス肯定が選手伸ばす スタンハンセン氏(asahi.com 2006年6月16日)

プロレスラーになる直前の1年間、米国で中学校の教師をしていた。当時まだ22歳。受け持った体育の授業では、騒いでいた男子生徒の尻を棒でたたいたこともある。自分もそうされていたし、疑問を持たなかった。
しかし、ある日、校長に呼ばれて「気をつけた方がいい。裁判になる」と注意された。事実、その頃から米国では学校の暴力が多く法廷に持ち込まれるようになった。今は学校での体罰はほとんど聞かなくなった。
スポーツでも、自分たちはたたかれて育った米国最後の世代だと思う。大学生の頃はアメリカンフットボール部のコーチから体罰を受けた。ミスをした時、抱きかかえられ腹をドスンとやられた。厳しい言葉を浴びせられ、くじけそうにもなった。しかし、僕が大学を卒業して間もなく、他大学の有名監督が選手へ暴力を振るって解任された。以降、指導者の意識は劇的に変わった。
愛情に基づいた親のしつけはともかく、スポーツを教える時に体罰はいらない。選手にとって、ミスは成功より頭に残っているものだ。そこで指導者が頭ごなしにしかっても進歩がない。選手がミスを肯定的にとらえ、前向きにさせることこそがコーチの仕事だ。失敗した時こそ、選手は伸びる好機なんだ。
長く日本にいたプロレスラー時代、甲子園大会をテレビでよく見ていた。日本の高校野球は集中力が感じられ、個人的には好きだ。ただ、背景には監督の強いリーダーシップが感じられる。その威厳はどこから来るものなのか。
成功する監督とは、選手全員に「監督のために勝つんだ」と信頼され、奮い立たせる人物と思う。体罰に頼るのでなく、選手の失敗を肯定しながら指導することが、その近道ではないだろうか。(聞き手・渋谷正章)

米国テキサス州出身。高校ではアメリカンフットボール、野球を経験。米ナショナルフットボールリーグNFL)選手などを経て、プロレスラーに転身。日本でも多くの人気を集めた。01年に引退後、自宅のあるコロラド州で少年スポーツの指導にあたる。56歳。



体罰を語る5完 長所ほめ自主性尊重を 渡辺公二氏(asahi.com 2006年6月17日)

68年に赴任し、5年ほどして西脇工はいじめ、校内暴力などで荒れ始めました。ある保護者から「帰りに道草できないくらい部活動で鍛えて」とも言われ、厳しく指導しました。
練習を怠けたくて倒れたふりをする選手の頭から水をぶっかけ、うそをついて練習をさぼり、バイクを乗り回していた生徒に手をあげました。走り込ませてしごき、時には体罰も辞さない。その姿勢で82年に男子が都大路で初優勝しました。
ところがそれから県予選で報徳学園に6連敗。「勝てない。何でだろう」。悩んでいたときに先輩に言われたのが「負けるのは指導者のせい」という言葉。陸上は駅伝でさえ、走っているときは1人。敵が周りを取り囲み、精神面が左右する競技です。なのに私は走る前から選手を追いつめていました。「走れんかったら怒られる」と選手は縮こまり、時には眠れなかったと言います。
それからです。殴るのもやめて、練習も選手に任せました。長所を見つけては褒めることを心がけました。するとのびのびと楽しそうに、自分から練習するんです。90年に2度目の優勝をしてから02年まで、2度の連覇を含めて7度の優勝。成績も付いてきました。
陸上も体罰は減ったと思います。以前は合宿で他校の先生が選手を殴る光景をよく見ましたが、近年は全く見ません。
今、思うに体罰に教育的効果なんてありません。生徒は殴られたことだけを覚えています。殴った方もいい気分だったことは一度もありません。昔の教え子と会うと「先生によく殴られて……」なんて言いますが、目を見ると「ためになった」とは一言も言っていない。そのたびに私も「もっと言葉で納得させることはできなかったのか」と悔やんでいます。(聞き手・岡田健)=おわり

わたなべ・こうじ 兵庫・西脇工高陸上部監督。福岡県出身。日体大卒。全国高校駅伝の男子で計8度優勝。女子でもシドニー五輪女子マラソン7位の山口衛里らを育てた。98年に定年退職してからも体育の臨時講師として同校の指導を続ける。68歳。



体罰を考える・高校野球の現場から1 成果求め情熱暴走(asahi.com 2006年06月12日)

朝日新聞社高校野球の指導者を対象に実施した「指導に関するアンケート」で、指導に悩みながら、6割の指導者が体罰を容認していることが分かった。日本高校野球連盟は昨夏、「指導者の暴力はいささかも許されるものではない」とする緊急通達を出した。暴力根絶に向けた取り組みを訴える一方で、不祥事の報告は相次いでいる。なぜ、問題は繰り返されるのか。指導の現場を追った。


◆裸ランニング
岡山地裁倉敷支部の法廷に5月23日、おかやま山陽高校の野球部元監督、池村英樹被告(35)が立った。野球部員に暴力をふるい、無理やり全裸でのランニングをさせたとして、暴行と強要の罪に問われていた。
「全裸で走るよう指示はした。しかし、強要罪は成立しない」。はっきりした口調で、強要罪を否認し、暴行も一部否認した。
中学生のころから野球の指導者になることを夢見てきた。
念願がかない、母校の沖縄県那覇の監督となった。00年夏には沖縄大会で優勝、甲子園に出場した。左利きの捕手、三塁手の起用、アッパースイングの奨励など、型破りなチームは話題となった。しかし、教諭を監督にという学校の方針もあり、その秋に辞任した。
1年ほどたっておかやま山陽から誘われ、02年、監督に就任した。高卒で、教員免許も持っていないため、立場は学校職員。検察側によると、「4年以内に甲子園出場を果たさなければ、解任」という契約だった。
部員は髪を染め、眉をそっていた。ユニホームは洗わず、あいさつもできなかった。
今は東海地方に住む池村元監督は「最初に手を上げたのは、就任した夏。何度注意しても選手が眉毛をそってきた。反射的に、平手で顔をたたいた」と話す。
部員の態度は変わった。当時の部員の保護者は「体罰を含め、指導に感謝している」と語る。
営業職として沖縄で働き、悩んでいたころ、離島で服を脱ぎ、裸で海を泳いだことがあった。「自分はなぜ、こんなことで悩んでいたのだろう、と一皮むけた思いがした」
おかやま山陽のグラウンドは丘の上にあり、人目はない。自分の経験も説明し、生徒を裸で走らせた。裸ランニングはその後も何回かあった。
次の年、野球部強化のために大阪や九州から集まった生徒たちが入学。グラウンド横の寮で一緒の生活が始まった。そこでいじめや窃盗、喫煙などの問題が起きた。
◆「裏切られた」
5月、初めて拳で部員を殴った。体罰は次第に当たり前のものとなった。「暴力がいけないことは分かっている。だが、高校の3年間という制約の中で指導するために、ある程度の体罰は必要、と考えるようになった」
就任から3年たった05年6月、部員の喫煙や窃盗を告発する投書が日本高野連に届いた。責任をとって監督を退いたが、引き続き寮に残った。
しかし、保護者が学校に体罰や裸ランニングを訴えたため、9月1日付で辞職。保護者は「元監督の行動はあまりにも理不尽で、常軌を逸している」と警察にも告訴し、11月に逮捕された。
高校野球の練習が刑事裁判にまで発展したのは異例のことだ。那覇時代を知る保護者の一人は「野球に関する情熱はすごいが、野球以外のことは知らない。大人としての対応ができない」と残念そうに語った。
訴えた保護者はいまでも、怒りが収まらない。
「信用して子供を預けたのに、裏切られた。このまま指導の現場に復帰したら、再び被害者を生んでしまう」





<「高校野球の指導に関するアンケート」> 朝日新聞社が全国の4214校の硬式野球部の指導者を対象に実施し、60%の回答を得た。8割が指導で「心の育成」を最も重視すると答えた一方、6割が体罰を容認する回答をし、約7割が「体罰の経験あり」とした。
(6月9日付大阪本社版から)



体罰を考える2 連覇の陰で 練習漬け、優しさ届かず(asahi.com 2006年06月10日)

駒大苫小牧(北海道)が昨夏の全国高校野球選手権大会で57年ぶりの連覇を達成した翌日の8月21日。体罰事件の調査のために、当時の野球部長(28)が校長室に呼ばれた。6月と8月に同じ部員に対して暴力をふるったことが親からの訴えで発覚していた。
元部長は「やったことは申し訳ないと思っているが、指導上ああするしかなかった」と話した。
「公式戦で敗れ、ミーティングで一から出直すという新たな決意を確認しあった。その次の日に、練習中にニヤッとしたのが許せなかった」「8月は、体力をつけるためにご飯を3杯食べるルールを破り、おかわりをしたとうそをついた」
学校側の聞き取りは約2時間続いた。元部長は「これ以上言っても、自己防衛に入るので、言いません」と語った。
その年、事務職員から教員になり、部長に就任したばかりだった。学校の幹部は「勝負をかけている状況で、切羽詰まっていたのではないか」と話した。
当時の部員の一人は「元部長は兄貴的な存在だった。体罰の後、殴られた本人は『おれの態度も悪かった』と他の部員に謝って回り、納得していると思っていたから、騒ぎになって驚いた」と語る。
元部長は野球部からは離れたが、学校には残り、公民の教諭を続けている。





学校は弁護士や保護者らを交えた危機管理委員会を設け、不祥事の再発防止に取り組んだ。しかし、今年3月には、卒業式を終えた3年による飲酒・喫煙が発覚。出場が決定していた選抜大会は辞退。香田誉士史監督(35)は退き、校長も辞職した。
香田監督は「もう終わったことですから」と口を閉ざすが、学校関係者は「勝負にこだわりすぎて、優しさ、思いやりを排除してしまった。本来の生徒指導をおろそかにした面も否めない」と指摘する。
4月に就任した打田圭司野球部長(36)はさっそく、部員との面談を始めた。進路、将来の夢、野球の目標などを聞き、アドバイスをする。周囲からの野球部への関心の高さに戸惑いながらも、「普通の高校生の扱いをしたい。まず野球部の担任でいたい」。





北海道ではここ数年、札幌地区の有力校が、野球から進学に力点を変えたため、道内の有力選手が駒大苫小牧に集まるようになった。
冬場の雪上ノックやボールを使わないイメージ練習など、香田監督の指導で、チームは力を伸ばしてきた。「監督と選手が対等の立場で、モノを言える雰囲気が大事だ」と監督は話す。
だが、殴られた部員は「野球漬けの毎日で、野球以外の生活面で指導を受けた記憶はない」と当時を振り返る。
関東の大学に進学し、いまも野球を続けている。「あの暴力から得たものは何もないし、なぜ殴られたのか、納得できない」
今月4日にあった春季北海道高校野球大会決勝。駒大苫小牧旭川実を下して昨年から続く公式戦の連勝記録を37に伸ばし、夏への好スタートを切った。
5月に復帰した香田監督は試合後も厳しい表情を崩さなかった。「気持ちを一からにして、緊張感を持って日々やっていきたい」



体罰を考える3 自分の不祥事、報告できず理事長辞任(asahi.com 2006年06月11日)

山口県高校野球連盟の前理事長(48)は昨年6月、勤務先の高校で自らが起こした体罰事件をきっかけに理事長職を辞した。
それまで6年間、組織をとりまとめてきた。県内の高校野球部で不祥事が起きれば取り決めに従って書類を作り、日本高野連に報告した。当時、自分以外には、連盟内に文書の作り方を知る人はいなかった。
「自分の不祥事の報告書類を自分で書くなんて、情けない限りだった」
日本高野連の発表などによると、前理事長は一昨年10月、生活指導を理由に当時1年生の野球部員(18)のほおを平手でたたいた。部員の自宅には謝罪に行ったが、日本高野連などへの報告はしなかった。
昨年5月、部員の両親から日本高野連の上部団体である日本学生野球協会へ投書があり、体罰が発覚。前理事長は同月から6カ月の謹慎処分を同協会から受けた。
日本高野連は「指導的立場にありながら体罰をふるい、生徒の起こした不祥事については報告しながら、自らの体罰については報告しなかった責任は重い」と処分を説明する。





前理事長は今春、県内の別の定時制高校に移った。謹慎期間は終わったが、野球部や県高野連から離れ、球場にも一度も行っていない。県内の高校関係者からは「人望、リーダーシップがなければ6年も理事長を務められない。もったいない」との声も出る。
体罰はあくまで教員として行ったこと。県高野連理事長の立場は離れた行為だった」と前理事長は説明する。
「暴力はいけないことは分かっているが、子どもが悪い方向へ向かっている時、体を張って止めることは教師としての責任。それでも処分される。自ら報告する人はいないのではないか」
部員の父親は体罰にはある程度、理解を示す。「スポーツをしている以上、必要な時がある。自分自身、先生が厳しかった時代に育ってきた」
むしろ納得がいかなかったのが、その後の学校側の対応だった。生活の乱れを理由に野球部に戻ることを許されず、両親らは不信感を募らせた。前理事長もチームに戻すよう働きかけたが、うまくいかず、昨年4月、部員は退学した。「涙を流して学校を辞めた子どもが救われない」と、両親は投書によって部内の暴力、非行などを問題提起したつもりだった。
しかし、前理事長の体罰だけがクローズアップされた。「理事長が辞めても根本的な解決にならない。結局、誰もが望む結果を得られなかった。息子が野球をしていれば、今がちょうど3年生の夏。甲子園の夢も託していたのに」と父親は話した。





前理事長には一家5人の生活があった。小学校に通う三女は事件を伝えるニュースにショックを受け、一時登校拒否となった。教職を離れようとも考えたが、「体育の先生では家庭教師も難しい」と思いとどまった。
部員は退学後、東京都内の高校に移った。「選手一人ひとりが監督を信じてこそ、強いチームが出来る」と体罰の効果には否定的だ。「野球が大好きなのに野球をやろうという気持ちになるまで、少し時間がかかる気がする。将来は体育教師になり、楽しい野球を選手に教えたい」



体罰を考える4 暴力の連鎖 「拳より言葉」模索続く(asahi.com 2006年06月12日)

「僕ら殴ってくれてもいいです。そういう風にやってくれんもんで、ダラダラしてしまう」
東海地方の30代の公立高校監督は1月、主将にそう切り出された。練習日誌を出さない生徒がいることを、怒ったときのことだ。
前任監督は相当のスパルタと聞いた。主将の言葉に「やっぱりな」と感じた。4月、主将に手をあげた。試合中の態度が気に入らなかった。授業をさぼった1年生は平手で打った。
父母会では「殴ってくれていいですよ」「殺さない程度にお願いします」などと言われる。
「手をあげず、注意してわかってくれるのが一番いい。でも実際はそうはいかんというのが現場の実感だ」





95年まで通算29年間、和歌山県立箕島の監督を務め、甲子園で計35勝をあげた尾藤公さん(63)。ピンチにも笑顔を絶やさぬ「尾藤スマイル」で知られたが、「かつては私もやった」と打ち明ける。
母校では捕手。走者を置いて打たれると、投手ではなく自分がビンタされた。「なんでおれが」。涙が出た。でもそれを「暴力」「体罰」と思わないほど、当たり前のことだった。
自分が指導者になっても、気がつけば同じことをしていた。ノック前、捕手に言い含めておく。「今日は『けつバット』するからな。痛そうにせえよ」。内野手が気の抜けたプレーをすれば、代わりにたたいた。
「スマイルもけつバットも子どもと心を通じ合わせるためのもの。相反するものではないと思ってきた」
いまは日本高野連理事を務める。「体罰は容認すべきではないが、指導方法に明確な答えはない。いま大切なのは話す力をつけることだ」





経験則からくる暴力の連鎖を断ち切ろうと、指導者の模索が続く。
智弁和歌山高嶋仁監督(60)は智弁学園(奈良)時代、「スパルタ」で知られた。朝8時から12時間ぶっ通しでノックしたり、練習に熱中し、気がついたら午前1時だったり。
いまは週2、3回、約30分のミーティングで練習内容を前もって説明する。「昔は『ついてこい』だったが、今の子は頭で納得して初めて一生懸命やる。どつきたいという気持ちは抑えて、代わりに休憩をはさみながら、たくさんランニングさせます」
埼玉県立豊岡の野中祐之監督(42)は高校時代、毎日のように監督から殴られた。主将になってからは1日10回平手が飛んだ。奥歯が抜け、鼻は3回折れた。試合ではサインひとつ見逃すと殴られた。最初は「自分は期待されている」と感じたが、監督の視線をいつも気にしていた。
公立の新設校。町をあげて「甲子園へ」という雰囲気だった。県大会ではベスト8。自分は満足だったが、「監督は違ったのかもしれない」。
その年末、合宿中に集団喫煙が発覚。監督は元日の朝、グラウンドで焼身自殺した。ユニホーム姿だった。前日にはバットをくれた。自殺の原因は分からない。「命がけで野球をしている」が口癖だった。
大学に進み、まったく違う指導に触れた。初めての個人練習や休み。とにかく殴られなかった。
だから今、選手には「野球バカになるな」と教え、決して手を出さない。「殴られると、今度はだれかを殴ってしまう。暴力で人間関係は作れない」



体罰を考える5 事件根絶願い 指導者「やったら負け」(asahi.com 2006年6月14日)

神港学園(兵庫)の北原光広監督(53)は、11年ぶりに出場した今春の選抜大会前、心に決めたことがある。「選手を怒るときは、1メートル以上離れておく」
近づきすぎると、体罰を加えていると誤解されかねないからだ。ジャンパーを着ていれば、必ず両手をポケットに突っ込んだままにする。大会前、県高野連理事長に「くれぐれも不祥事のないように」とくぎを刺されたことが頭にあった。
10分以上説教する時は、選手を座らせる。「寒い中、立たせたままで、もし選手がひざが痛いと言ったら、これも暴行になるのでは。何かあったら、悪いのは監督という時代にはっきりなりましたから」。こう言ってため息をついた。
指導者が過敏なほど他者の目を気にする。不祥事を神経質に恐れる。周囲から見れば、笑い話にも思えるが、当事者にとっては真剣そのものだ。





昨夏、全国選手権大会前後にあった明徳義塾(高知)、駒大苫小牧(北海道)の不祥事以降、事件の報告は急増した。日本高野連が昨年度、審議した不祥事は過去最多だった04年度を451件上回る960件にのぼった。指導者による部内暴力は前年の3倍以上の57件。両校の事件では報告の遅れも問題とされたため、現場が駆け込みで報告したことが、件数急増の要因とみられる。
一方で現場からは、高校野球を取り巻く環境の「変化」を訴える声が聞こえてくる。「高校野球の指導に関するアンケート」では、全体の62%の指導者が、ここ10年で選手気質が「変わった」と答えた。
「自分の主張を通したいために、『高野連に言いますよ』と脅してくる親もいる」。兵庫県内の50代の指導者は保護者の変化を指摘する。「少子化のせいか、親が子にのめりこんでいる。少年野球時代の癖が、高校になっても抜けきれないのかも」。周囲の過熱ぶりが、「たれ込み」とも言う情報提供の増加につながっている、と実感する。





現場の指導の難しさとは裏腹に、高校野球人気は根強い。昨年、全国の硬式野球部員は16万5293人で、4年連続で過去最多を更新した。一方、全国高校体育連盟傘下の競技人口は126万5769人で、ここ数年横ばい状態が続く。注目度の高さゆえ、日本高野連も不祥事にはどうしても敏感になる。
毎月、第3水曜日にある審議委員会。5月17日の会議には、72件の不祥事が報告された。指導者の暴力も3件が有期の謹慎処分が相当だと、日本学生野球協会審査室に上申された。
委員長を務める河村正・日本高野連副会長(69)は「体罰は、やったら指導者の負け」と言いきる。自身、京都市立洛陽工で5年間、監督を務めた。「チーム作りが思うようにいかないのは苦しいことだが、逆に言えば監督のやりがいでもあるはず。指導者には、そう考える心のゆとりをもってほしい」
「人間には感情がある。私も全国で問題がゼロになるとは思っていない。ただ、選手にけがをさせたり、脅したりという事件は根絶したい」。それは多くの監督の願いでもある。=おわり


(斎藤利江子、渋谷正章、島脇健史、竹田竜世、中井大助、日比真、写真は諫山卓弥が担当しました)